2011年7月30日土曜日

写真がない

今は皆がカメラマンのような時代になっている。

20年ほど前、私は高校の写真部に入っていた。とは言え、集まってはトランプで遊ぶだけというダメダメな日々を過ごしていたのだが、その頃はまだデジカメというのは一般的ではなく、普通にフィルムのカメラが使われていた。
私が写真部に入っていたのは、究極超人あ~るという漫画の影響である。その漫画のとおりのような生活はできなかったけれども、近い生活は送っていたような気がする。

以前にもどこかで書いたような気もするが、父親が亡くなったのは10歳の頃であった。それから家族で写真を撮るものがいなかった。アルバムは小学生の頃のもので止まってしまった。

部活で写真を焼くのは主に白黒である。それはそれでなかなか味のある写真が撮れたりするので、別にカラーでないからと言って悪いわけでもない。だが、活動時期が春から夏休みが終わってすぐの文化祭までだったので、もっと写真を撮ればよかったのだろうけども、なかなか文化系のクラブというのはお金も掛かるものである。そうそう多くは活動もできず、水は低きに流れるが如く、ダラダラとトランプ遊びに興じるようになってしまったのである。

そうこうしているうちに恋人もできた。卒業してからしばらくして別れてしまったけども、いい時間を過ごさせてもらった。だけれども、よく考えてみると当時も写真は全く撮らなかった。仮に撮っていたとしても、別れと共に捨ててしまったかもしれないが。

そうしてまた数年が過ぎた。私は最初に就職していた会社を辞め、専門学校に入り直した。また新しい恋人もできた。その頃からちらほらとデジカメも安価で出まわるようになってきたが、私は持っていなかった。時代の流れは加速し、メガピクセルのデジカメや今となっては当たり前のカメラ付き携帯電話もどんどん出回ってきた。

だが、そこでも私は写真を全く撮らなかった。そしてまた撮られもしなかった。

今となっては、私の10歳以降の写真というのは数えるほどしか無い。昔の写真を見て「あ~、これあの時のものだ。懐かしい!」となるようなことは私にはまず無い。今の段階での過去の記憶でしか、昔のことを思い出せないでいる。
そしてその記憶も、またこれから先、年を重ねていくことでどんどんおぼろげになっていくことであろう。いい思い出や悲しい思い出にもセピア調の色彩を帯びた憧憬にもにた景色になっていくのだろう。

僕には過去が無い。

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