2010年6月8日火曜日

詩に興り、礼に立ち、楽に成る

教養のことです。

詩心、ポエム、短歌、俳句。まぁなんでもいいんですが、こう言葉が凝縮されて情景を感じさせる。まず、そういうものがある人が教養があると。
そして、礼。礼儀ですね。礼儀正しくない人に対して「あの人は教養があるなぁ」と言うことはまずありません。逆に「無礼で野蛮人ねぇ。教養を疑ってしまうわ」と言われることでしょう。
最後に楽ですが、音楽のことです。もともとは楽器の演奏のことだったんですが、現代では調和のことと思ってもいいでしょう。ハーモニー。和音。。。空気が読めるということにも通じるものがあるかと思います。

これらのことが揃って、教養があると孔子先生はおっしゃっていたわけです。

最近、ある本を立ち読みしまして、新書だったかな、確か講談社だったかと思いますが、タイトルを忘れてしまいました。それには「教養という言葉は、(西洋で)ここ200年ぐらいで出てきた言葉である」みたいなことが書かれていたんです。
馬鹿言っちゃいけません。教養は2500年も前から言われてたことです。
だいたい西洋文化がなんだっていうのでしょう。西洋、つまりはヨーロッパ文化なわけですが、大いに発達しているように見えるのは産業革命以後のことだけです。
ルネッサンスとはなんだったか。それは、古代ギリシャ・アテネ時代の頃に比べて文化が後退してしまったのを嘆き、そうだ過去の素晴らしい時代に戻ろうという、そういう運動だったわけです。
そして大航海時代から植民地政策時代にかけて、世界を我が物にしようとした国々。アジアまでわざわざ出てきて「未開のサルども」を支配下に置いていったわけですが、日本を見てどう思ったか。「みんな本を読んでいる!」と焦って支配できないと思ったわけです。
1800年ごろの識字率が、正確かどうかは分かりませんが、ヨーロッパでは10%に対し、日本では50%だったそうです。
しかし識字率の問題だけでもないのですが、とりあえずは本を読んでいるということは教養があるという大前提だったのかもしれません。

日本国内での戦争で、白髪交じりでは相手に失礼だとわざわざ黒く染めたり、辞世の句を兜の中に仕込んだり、最前線に立ち「やぁやぁ我こそは~」と生い立ちやらどういう戦いを生き抜いてきたとかを名乗りを上げて「いざ立ち会え」なんてやったり、雅であると思うわけです。
もっと昔の貴族になると思いますが、恋愛の想いを和歌にこめて交換しあうなんて、素敵なことだと思うわけです。

詩に興り、礼に立ち、楽に成る

今、それができてる人ってどれくらいいるんでしょうね?
私? もちろん、できてませんよ。。。未熟ですから。

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