2010年3月28日日曜日

サクラサキサクラチル

世間様では花見で盛り上がってるようで、大変結構なことではないかと思うのです。
この週末は寒かったり、天気があまりよくなかったところもあるようで、そういう意味では少し残念だったのかな? まぁ花を愛でながら飲むお酒というのも、中々いいものです。

桜というと、昔はコノハナ(木の花)と言っていたそうで、それが神格化されたものがコノハナサクヤヒメなんだそうです。
古事記ではコノハナサクヤヒメは大変美しい女性でした。天孫ニニギノミコトが一目でほれてしまうくらいです。出会ったその日にプロポーズをして、その翌日には妊娠~出産と続きます。
いくらなんでも早すぎでは。。。別の奴の子供だろう!? との疑惑にもめげず、産屋の入り口を塞いで火を放ち、もし天孫ニニギの子でなかったら無事に出産できるわけがない! とあまりにも大胆なことをします。
結局無事に、海幸彦(ホデリ)、山幸彦(ホオリ)、ホスセリの三柱の神を出産したのでした。

さて、桜の花は時が来るとパッと咲き、時が来るとパッと散ります。まさしくタイミングをぴったりと合わせて一斉に咲き、一斉に散るのです。

世の中、どこかずれてる人というのは、まずこのタイミングがずれている。
かつてたまごっちがブームになったことがあったが、そのタイミングで偽者が多く出回り、またそのほかのたまごっちグッズが世に溢れた。
また、今現在バンクーバーオリンピックの話をしても、あぁあったね、とはなるが、それほど盛り上がるものでもない。
こういうタイミングを合わせてくれるのがコノハナサクヤヒメ。
全国にコノハナサクヤヒメをお祭りしている神社は数多くあるが、そういうことが分かってお参りするとよい。「今何をすべきか」が前よりもツボにはまってくる。
それと同時に気の強さもある。頑固なのとは違う信念の強さである。そうしてそれを証明して見せるだけの強さもある。

桜の花は美しいのみならず、その時はツボにはまり、また強さも持ち合わせている。
ただ花見で酒を飲むだけでなく、そのように生きて行きたいと心に誓ってみるのもいいだろう。

2010年3月24日水曜日

反動

日頃「知識が足りない。勉強するんだ。インプットをもっと」と言い続けたり書いたりしてますが、そうするとどうなるか。反動がきます。
ぐでーっとなってなーんもしたくない。

はたまた、ギャグばっかり言うようになったりもする(いつも)。
これはもう真面目に事に取り組むと反動がくると分かっているから、最初から明るく乗り過ごそうというもの。
最近、つるつるのペットボトルをラベルをはがして眼鏡のようにすると、えもいわれぬ愉快な顔になると判明した。デジカメが無いので撮影できなく、お見せできないのが残念。

とにかくこういう不合理なことをしたくなるのだが、それはそれでいいのだと思う。

例えばゴルフ。よくよく考えたら、ボールを打って穴に入れるだけのことである。
例えば野球。人が投げたボールを打ってぐるぐる走るだけ。
例えばオセロ。適当に石を並べて白黒どっちが多いか競う。オレの方が多いもんね。
例えば囲碁。適当に石を並べて白黒どっちの陣地が多いか競う。オレの方が多いもんね。
その他、人間が勝手に決めたルールで何やら適当にやって、面白おかしく過ごす。一体何なんだと。

でもそれが素晴らしいんだ。素晴らしいことなんだ。一見無駄に思えるようなことであっても、それに夢中になっているときは御魂がビカビカに光り輝いている。
そうしてそれらの頂点に立つ人々は、それを見る人々に感動を与えることができる。
そうして限界を突破した人に、周りはその人の中に神を見るんである。

2010年3月18日木曜日

Re 侍魂

歴史上の人物で言えば楠木正成公が当たるかもしれない。そして西郷隆盛。

楠木正成は、湊川の戦いの際、絶対に負けると分かっていたから後醍醐天皇に「一旦は京都から退却しましょう」と上申したにも関わらず、天皇は「天皇が退却だなんて、後ろを見せられるかい」と却下され、あぁどうしようと悩みつつも「天皇のために、朝廷(南朝)のために戦うんだ。それで命を落とすことがあっても、それは天命で仕方ないんだ」と、そういう想いで戦地へと赴いたのです。
本当はもっと深い葛藤と、最期の最後の悟りもあったわけですが、まぁいいでしょう。太平記を読んでください。

西郷隆盛は、元々は大日本帝国陸軍大将である。それが、日本のために西南戦争を起こし、立派になった陸軍の戦いを見て、満足しつつ果てていったのである。
ここにももっとイロイロな戦いもあったのですが、まぁいいです。

この2人に共通しているのは、ちっぽけな我を殺しているところです。そして大義のために命を投げ出して戦ったところです。
なかなかこうはいきません。ボクなんか自分の命は惜しいし、我を捨てるなんてもっとできません。

この捨てることに重きを置いているのが老子です。
「学するものは日に日に益し、道するものは日に日に損す」と言っています。
この学は儒教の学問のことで、仁儀礼知信のことです。それを学ぶことで日々成長しプラスになっていると。
それに対し道は老荘思想のことであり、とにかく捨てることを説いています。言うなれば山奥にこもって仙人みたいな状態です。とにかく捨てる。どんどん捨てる。富も財産も地位も名誉も名声も。するとどうなるか。
「損して損して無為となす。無為にしてなさざるは無し」
無為、すなわち何もかもが自然な状態、人間の手の加わっていないような状態。そうなると何もできないことは無いという状態になる。
これは禅の無の境地と同じことを言っている。そして陽明学では良知と言う。

日本では~道というのがいくつかある。柔道や剣道といった武道。また茶道や華道といった芸術。これらを通して明鏡止水の境地に立つのが一つの到達点とも言える。
「日本の弓術」を書いたヘリゲルによると、師匠の阿波氏は暗闇の中で60m離れた的の真ん中を1発で射抜き、しかも2発目はその1発目の的に刺さっている矢を射抜いたとのこと。これぞまさしく弓禅一如である。

無の境地を得ようとし、静かな場所でだまって座って瞑想に耽る、なんてのはいつまで経っても無の境地には立てない。
現代社会においては、日々の生活の中で、公務員なら公務員、主婦なら主婦、プログラマーならプログラマー、営業員なら営業員という、そういう仕事を持ちながら、少しでも周りによかれという思いを持って生活することに他ならない。
これが動中の静である。

そのためにはどうしても真実の学問が要る。
どうしても学んだ分しか周りによき影響を与えることはできない。自分が苦しんだ分しか周りを救うこともできない。
そして学問を学びつつ、小我を捨てていく。
「武士道というは死ぬことと見つけたり」も同じようなことを言っているわけです。

2010年3月12日金曜日

卒業生祝賀パーティ

14時からホテルのパーティルームで催された。
年に1回の行事で、最後の見送りなだけに必ず参加したいものである。

私も長いもので、気がつけば丸5年も某専門学校で講師をさせていただいている。

ふと気付いてみると、初めて1年のときから面倒を見た学生も今回卒業した。
その彼はデキのいい子で、1年の秋の試験に向けての特別授業で初めて出会ったのだが、最初からただならぬものを感じさせた子であった。

もちろん、その子以外にも多くの子が卒業していった。
わずかばかりでしか面倒が見られなかった子もいたし、全く授業の無かった子もいた。そんな彼らでもすれ違ったり見かけたりしたことはあったのだから、これから会えないことを考えると、ふと一抹の寂しさを感じたりもするのである。

だが、それがいい。
そうやって人と出会い別れ、また新たな出会いがある。そうして常に時は流れ変化していくのだ。
諸行無常。なんていう真実なのだろう。常に移ろい変わり、変化しないものは何一つとして存在しない。この世の絶対的ルール。
だから変化することを恐れてはいけない。恐れようと恐れまいと、時間で自動的に変化する。

また逆に、これは自然の裁きでもある。
栄枯盛衰。時間の流れは残酷でもある。どんなに若くかわいい女の子であっても70歳になったら、まぁかわいらしいと言える人もいるが、ほとんどはしわくちゃのお婆さんだ。また、どんなイケメンの男であっても100年たったら骨である。

ホテルから出た後、しばらく学校で時間をつぶした後、2次会でバーへ行く。
そこでまた卒業生や進級学年の学生達にナニゴトか話す。

そして3次会。やたらとうるさい安居酒屋で24時までいる。
そこで自称「頑張ってる」学生を簡単に打ちのめす言葉を吐く。「今年何冊本を読んだ?」
彼らはデザイン系の学生であったが、デザインの本つまりは構図の本やデッサンの本や色彩の本なんてのは沢山出版されている。それを全く読んでいないのだ。つまりはインプットが足りない。
そういう土台が無いから、あくまでもセンス・感覚でしか勝負できない。そこに理論が無いわけだ。
例えば、赤と青を同時に使うと目がキンキンに疲れる。そこで、赤と黒とか、赤と金とか、そういう色の組み合わせというのがあるのだが、それを勉強していない。全くやっていないわけではないのだろうけども、教わったその時点でしかインプットが無い。
何故常にインプットしないのか。何故寸暇を惜しんで勉強しないのか。何故くだらないテレビや雑誌を見て時間を過ごすのか。それらを全部含んでの質問が「どんだけ本を読んだ?」になる。
本屋に行って、本棚の本を全部買うのは、金銭的に無理があると思う。だからこそ図書館を利用するのだ。ところでコレはまた僕もできていないことでもある。だから本当は偉そうには言えないのだけれども、だけれども言ってあげなければ彼らのためにもならない。

そうして日付も変わって0時半頃「5年で1000冊読め」とだけ言って、私は家に帰った。

2010年3月9日火曜日

ありがとう野口さん

Citylights, stars, and aurora. on Twitpic


街の光と煌く星々。。。そして恐いくらいに美しいオーロラ

2010年3月7日日曜日

包丁で右手を切る

私は右利きである。
箸も右だし、鋏も右だし、物を投げるのも右だ。そんな普通の右利きなので、包丁も当然の如く右で使う。
そんな私が包丁で右手の親指を少し切った。切ったと言っても大したことはない。ほんのちょっと薄皮を切ってちょっとだけ血がにじんだという程度だ。
切った場所は、親指の手の甲側の、付け根のあたり。
そこを右手で包丁を使っていたら、なにかのはずみで切ってしまったのだ。

事実は小説より奇なりと言う物だが、本当にこんなことがあるとはなぁ。。。
よくミステリー小説とかで「おや手をケガしてますね」「ちょっと包丁で。。。」「あなたは右利きではないですか? なぜ右手をケガするんです?」なんていう流れで犯人になってしまうことがあるが、あれは嘘というか、机上の空論でしかないということが分かった。

何事も体験してみないと分からないということがあるのだなぁ。。。

2010年3月1日月曜日

恒例江ノ島神社参り

今月も1日にご挨拶に行ってきた。
なお、先月は11日に行ったのだが、なんだかんだで記事にするタイミングをすっかり逃してしまった。。。

そんなわけで今日参ってきたわけだが、正式参拝はせずに、普通の参拝で済ませてしまった。15日にまた行って、正式参拝をしようと思う。

と言うことで、今月も無事に参拝し得参らせて頂けたこと、日頃の健康などの報恩感謝を言上申し上げ、少ないながらもお賽銭を誠の証として捧げ奉るのであった。そうしてから周りの人の幸せを願い、自分の進歩向上を願い、最後に自分の欲望を祈ってきた。
あ、参道のお店などの商売繁盛が江ノ島の神様のお陰であると言うの忘れちゃった。。。

まぁとにかく、そんな感じでおみくじを引くとこうであった。

吹く風に 高嶺の雲も
はれ行きて
涼しく照らす
十五夜(もちのよ)の月


運勢 大吉

冬の枯れ木に春が来て花さき黒雲晴れて月てり輝く如く次第に運開け幸福加わり家業繁昌します
しかし安心して油断すると折角の幸が禍となります用心しなさい

願望 目上の人の助けを得て思わず早く調う
待人 たよりなし来る
失物 早く出る物の間
旅行 さわりなし
商売 気を付けてすれば吉
学問 安心して勉学せよ
相場 見合わせ今が大切
争事 人の助けあり早く済む
恋愛 表面だけ要心せよ
転居 さしつかえなし
出産 やすし信心せよ
病気 気に病むな治る
縁談 思わず早く調う他人にまかせよ

良い結果に満足し、深々と頭を下げる。なかなかいい御祭りであった。

直会(なおらい)は入り口の鳥居の近くにある「たこ島」というお店。ここの丼物はとにかくでかい。まぁ僕には少々物足りないのだが。。。
すぐ隣に看護婦さんの3人組がいて、食べきれないようであった。
メニューにシラスの挿絵があって、なぜか手がはえて看板を持っているような絵柄になっている。何と言うか、まんま白蛇に見える。

その後、鳥居を出てすぐのところにあるソフトクリームを食べる。今日だけ紫芋ソフトが200円とのこと。他のものは295円なので安い。ちなみに店を挟んだ反対側はどれも250円。

ところで江ノ島神社には下のようなマークがあちらこちらに使われている。
 ▲
▲ ▲
フォントの関係で正しく見えるかがちと心配だが。。。ともかく三角形が組み合わさって、一つの大きな三角形に見えるわけである。
要するにウロコをあらわしていて、その意味するところはヘビである。
昔から白蛇は神様の遣いだという話があるが、やはりここ江ノ島でもそういうことのようだ。

なので、白くてニョロニョロしているシラスとか、それに手がはえたイラストとか、ソフトクリームなんていうのは、白蛇に見立てることができる。そうして江ノ島の神様の御神徳をまんま頂くのだ。

そうやって御神気を浴びるのは大変気持ちがいい。やはり実際に足を運ぶというのが大事なのだろう。