2010年12月23日木曜日

松山滞在2日目

6時過ぎ、げろっぱさん、ちゃびんさんと離れて近くのネカフェに吸い込まれる。
そろそろ寝ようかな、と思っているといっちゃんが仕事で現場に着いたという。さっきまで一緒にいた人がこれから仕事だってのに、私は寝ようという、まぁ贅沢な時間やね。

かなりのアルコールが急速にアルデヒドに変換されていくと、それは覚醒作用につながる。要するに浅い眠りですぐ目が覚めてしまうということだ。若干寒い感じのするネカフェ内で、半分眠ったり起きたりしているような感覚で、時計を見るとまだ9時だったり、10時だったりする。

12時過ぎ、ようやくネカフェを出る。まずは道後温泉椿の湯で全身をしゃっきりさせる。

14時ごろ、リンジーズへ向かって移動。松山市駅からバスに乗り込む。看板が見えたらいいなぁと思いながらもなかなか分からずに、教えられた停留場で降りる。が、ここからの場所がよく分からない。松山方面へと向かって歩いたらすぐに分かると聞いていたのだが、全く分からない。
しばらくうろうろした後、近くにタクシーの本社があったので飛び込んで聞いてみたが不明。そしてわらをもつかむ思いでちゃびんさんに連絡したことで、なんとか場所が判明。仕事中に完全にプライベートな電話入れてしまって、本当に申し訳ないと思う。

リンジーズではミカンポッキーさんの美味しい料理を戴く。美人の女将さんの手作り無農薬野菜の料理なのでしみじみと旨い。そういえば今朝から何も食べていないのだ。
うどんかと思ったらきしめんだったというサプライズもあり、これまた美人のきゅびさんも登場という、食事とは別のことで興奮してしまった1時間半であったが、もうすぐ出発の時間なのであった。
後ろ髪引かれる思いで、まぁ髪の毛は前髪から抜けていっているのだけれども、泣く泣くリンジーズを後にする。

松山市駅へと向かうバスは路線が渋滞していて遅れ気味。焦ってもしょうがないのだけれども気は焦る。運転手さんとも相談して、立花駅から郊外電車に乗り、なんとかJR松山駅のところまで移動。おかげで夜行バスにも間に合った。

夜行バスは瀬戸大橋を渡って、山陽道から大阪を抜け東海道というルートだったらしい。途中山陽道の三木SAの何故か自由に使えるPCからちゃびんさんにお礼をし、その後は新宿までほとんど眠って過ごした。

先月・今月と連続して四国に来たのだが、やはりツイッターで知り合った人と会うのは楽しく、そして初めて会ったという気がしない。これは昔のパソ通でチャットをしていた頃にも感じた感覚だ。しかも今はUSTやツイキャスにより動画を見たりしているので、より初めて会った感が薄らいでいる。

2010年12月22日水曜日

松山滞在記

当日のリアルタイム様子w

大街道のネカフェなう!
posted at 16:51:15

えー、今回も旅行自体は計画済みだったのですが、その中身はほぼ無計画という、まことに私らしい、そして、動物占いで黒ひょうらしからぬ行動をしています。
posted at 17:06:12

まず、21日の夜に夜行バスで新宿を出発。松山到着は8時40分頃でした。そしてキムチ教室のお誘いもあったのですが、先月ほとんどできなかった観光をしようと思ったのです。
posted at 17:07:31

松山で一番最初に思い付くものは、人によって様々かもしれませんが、私は「ターナー」です。やっぱりティナ・ターナーは凄い歌姫だよねっていうボケは置いといて、「全くターナーですな、うんうん」と頷きたかったのです。
posted at 17:09:16

そんなわけで伊予鉄のワンデーチケットを買ったはいいものの、ターナー島を見るにはその区間外へと行かなければならないようで、古町から乗り換えて高浜へと移動。そこから10分程歩いて、ターナー島が見える。
posted at 17:16:32

ターナー島近くに見晴台があって、そこから見るターナー島はまさしくターナーである。とは言え、実はターナーの絵そのものを知らないので、どの辺がターナーなのかが分かっていない(プププ
posted at 17:18:06

しかしこういう風景というのは写真や動画サイトなんかで見るよりは、やはり自分の肉眼で見、魂に刻み込むのがいいのだろう。先月の鳴門と言い、今月のターナー島と言い、これで四国の東端と西端を制覇したことになる。
posted at 17:19:41

ターナー島をしっかりと見つめ、ドキドキしながら見晴台からの階段を降りる。ちょっと危険な階段である。そして高浜には戻らず、梅津寺に向かって歩き出す。結構不法投棄に関する看板が多い。それだけ不法投棄が多いのだろう。こういう奴は寿命の限り生きればいいのに。その寿命がどんだけかは別だが。
posted at 17:25:02

梅津寺駅前に梅津寺らしい公園のような場所があった。思わず吸い込まれる。50円也。冬場だからか、どの木も枯れたようになっているが、あと2ヶ月もすると見事な梅の花が咲き誇るのだろう。
posted at 17:30:57

梅津寺から松山市へと出る。そして子規堂へと移動。ここも50円也。正岡子規の直筆と思われるものがあり、達筆であるなぁとほとほと感心する。また、現存する最古の伊予鉄の客車に乗り、確かにマッチ箱みたいだなと思う。
posted at 17:34:07

だが実際のとこ、坊っちゃんの一部が書かれているのを見たが、その伊予鉄に乗って「たった5分で3銭かよ」というのは全く記憶に無かった。ついでに、マドンナのこともさっぱり覚えていない。実は坊っちゃんで覚えているのは出だしの幼い頃から損ばかりしているというのと、ウラナリ君や赤シャツぐらい
posted at 17:36:30

あとは先ほどのターナー島のくだりか。ほとんど覚えていないに等しい。青空文庫で読み直すのもいいのかもしれないが、やはり本という媒体で読み直したい。
posted at 17:37:41

さて、子規堂から伊予鉄に乗り込み大街道へ。ここから愚陀佛庵へと移動するが、その手前の萬翠荘に吸い込まれる。何とかさん(名前失念)の絵などが展示されていた。
posted at 17:41:39

萬翠荘というのも、実はよく分かっていないのだが、おそらくは大正時代の建築物なのだろう。迎賓館か鹿鳴館か、そんな感じがした。って、迎賓館も鹿鳴館もよく知らないのだけれども。。。
posted at 17:42:48

そんなこって、さて愚陀佛庵に行こうとしたが、どうやって行けばいいのかよく分からない。そこで萬翠荘にいた美人のお姉さんに聞いてみたら、今年の7月に土砂崩れで埋まってしまったとのこと。うーむ。。。自然には敵わないのであるな。残念であるが、仕方ないのだ。
posted at 17:45:19

萬翠荘のすぐ横にある茶店でお昼ご飯を食べる。じゃこ天うどん定食というのがあったので注文。そして食後のコーヒー。なぜかおまけにみかんが2個出てくる。どれも素晴らしくうまい。もういつまでも生きていたい。
posted at 17:47:51

唯一残念だったのが、伝票の裏がアンケートになっているのだが、筆記具が出されなかったこと。これではアンケートの記入をするのに自分のペンを出さなくてはならない。惜しい。と、アンケートに書きたかったが、自分のペンを出すのが億劫なので書かなかった。
posted at 17:48:59

腹ごしらえも済んで、道後温泉方面へと移動。道後温泉駅から歩いてすぐ、イサニワ神社に到着。下から見るとちょっとむき出し感があって、どうかなという気もしていたが、階段を全て昇って上まで来ると、なんだか清々しい感じがする。
posted at 17:55:28

イサニワ神社のおみくじは中吉。待ち人のところは「遅いが来る」となっている。実は、私がどこの神社でおみくじを引いても、待ち人の項はほぼ間違いなく「遅い」という内容。言い回しに若干の違いはあれど同じ内容。いつも早くしてくださいとお願いしているのだが、なかなか叶わず。。。
posted at 18:01:44

イサニワ神社の急な階段を降りて、しばらく足湯でくつろぐ。ボケーっとしているとすぐ近くのカラクリが動き出してビビル。結構大掛かりな仕掛けである。
posted at 18:04:02

足湯も気持ちいいのだが、やはり全身でお風呂に入ろうということで道後温泉本館へ。先月は雨のため、アーケードから本館までまっしぐらであったが、今日は建物の周りをぐるっと一周。
posted at 18:05:58

なんと、道後温泉本館の裏口のところには日本唯一の皇室御用達の浴室があるんだとか。え?皇室の方々は普段お風呂に入ってないの?なんていうボケは無しの方向で。
posted at 18:07:13

で、さらにぐるっと周ると、大正天皇が皇太子だったときに、ご駐車。。。あれ?字が違うな。駐駒だったかな?まぁそんな感じの場所があり、さらに玉の石という神代に起源があるという石に温泉を掛けて二礼二拍手一礼。
posted at 18:28:22

イケメン連のみかんツリーは、おそらく日が沈んだらライトが点灯するのだろう。そのほかにもデコポンやら名も知らぬ柑橘系の実が飾られていて、風情があるんだか、クリスマスなんだか、よく分からないが、まぁ日本的でいいじゃないかと思う。
posted at 18:30:17

そんなわけで、いざ道後温泉本館へ突入。湯船に浸かったり、浸からなかったり、なんだか長い時間いたような気がする。本来は1時間という縛りがあるらしいが、ぶっちぎっていたに違いない。まぁいいや。
posted at 18:31:34

しかしまぁ、地元民だと思うのだけれども、温泉に入るときのマナーがなっていない。掛け湯だけでは駄目なのだ。公衆浴場なのだから、湯船に浸かる前にしっかりと体を洗わなくてはならないのだ。そこが返す返すも残念でならない。
posted at 18:32:50

若干湯あたりした気もし無くも無い状態でフラフラと外へ出る。そして大街道へと移動し、とりあえずネットカフェで現状を書き連ねる。(イマココ)
posted at 18:33:53

さて、髭剃って、歯を磨きましょうかね。。。
posted at 18:39:08

おっと、今ネカフェのトイレが掃除中である。歯磨き・髭剃りは後回し。。。
posted at 18:41:15

ではネカフェを後に、出動するのであった。またね!^-^
posted at 19:16:16


ということで、この後PStTV(リンク先はその時のもの)にお邪魔する。特にオファーもあったわけではなかったのだが、偶々理由もあってゲスト出演。1時間半あたりでしっかりと出演してる。。。はず!

その後はスタッフや他のゲストと一緒に反省会という名の飲み会。その一部はツイキャスで配信されていたのだが、残念ながらその動画は削除されてしまった。もっとも、私のかなり駄目っぽいところも映されていただろうに、それでよかったのかもしれない。
ということで、メインMCのゲロッパさんと同ちゃびんさんとで朝6時まで一緒にいたのでした。

2010年12月21日火曜日

松山再上陸へ

18時半頃に家を出る。
新宿まで出てから高速バスにて松山入りをするのだが、よくよく予定を確認すると、バス内でおよそ12時間。やはり遠いのだ。
家を出た直後は雨が降っていたが、新宿ではまだ降っていなかった。これから雨が降ってくるのであろう。

高速バスに乗ってから、しばらくすると雨がガラス戸を叩く音がする。足柄SAで最初のトイレ休憩。やはり雨が降っていた。
松山では雨も上がっていて欲しいと願いつつ、眠りに就くのであった。。。が、寝付けない(涙)

2010年12月8日水曜日

父性の欠如か

もう一つ書くのを忘れていた。
私は10歳の頃に父親を亡くしている。だが、それで父性が欠如しているとも思っていないし、誰かに父性を求めるようなこともしていない。
無意識のうちにしてるんだ、とか言われたら、そりゃ無意識が相手なので否定はできないが、私の事を知らない誰かさんからそんなことを言われる筋合いは無い。

じゃあ、オレが女のことが好きなのは母親を求めてるからなのか?年上の女性が好きだと言ったらそうなるのか?オレは母親とケンカして実家を出てきたが、それはマザコンの裏返しなんだってしたり顔で言うんか?
で、それは父親がいなかったせいだってなるんか?

なんでもかんでも短絡的に考えるバカのアンチなんとかさん。丈夫で健康で長生きしてください。

2010年12月7日火曜日

アンチなんとかさん

まぁ見て気分が爽快になる人ってのはそういるものではあるまい。
それはともかく、いつだったかのエントリで「5年で1000冊の本を読め」と書いた。卒業生に対しての言葉だったので2月か3月ぐらいだと思う。まぁそれはそれでいい。
じゃあ自分(私のこと)ではできるのか、という疑問がそのアンチなんとかさんのブログで書いてあった。結論から言えば、多分私は1000冊達成できないと思う。
できないからってやらないのではなく、少しでも多く読もうと思い、月のペースでも揺れ幅があるにしても平均10冊ぐらいのペースで読んでいると思う。これは別に、それぞれが別の本なのではなく、1冊の本を10回読んだら10冊とカウントしてもいいことにしている。
んで、そうやって月10冊でも5年では600冊にしかならない。でも経験的にも、目標を決めて、それに向かって努力して、必ずしも達成できるわけでもないと分かっている。だいたい「1000冊だぁ!」って頑張って600冊ぐらいになるのも分かっていたことでもある。

自分にできないことを相手にやれと言うのは無謀なのかもしれない。だけども、できないからと言って何のペナルティも無い。それを責めることも無い。
それを、私が人に1000冊読めと言ったことを、私ができないからと言って、私が責められるもんなんですかね?1000冊に足りてなくとも、600冊読んだことはどうでもいいんですかね?400冊足りないからなんなんですかね?それがそのアンチなんとかさんの人生を狂わせるほどのことなんですかね?

まぁアンチさんは、そうやって人を責めることで心の安定をはかっているんでしょうね。かわいそうだと思う。結論から言えばバカだからである。自分がバカだからそうやって人を責めて、「あいつはあんなこと言ってるけどホラ吹きだ」と言うしか能が無いわけでしょう。
自分を努力することを棚に上げて、人を責めるだけなんでしょう。バカだから自分が全く成長せず、人の揚げ足取るだけで一生懸命なのでしょう。
社会的実力も無いからブログで吼えるだけなんでしょう。
人脈的実力も無いからブログで吼えるだけなんでしょう。
経済的実力も無いからブログで吼えるだけなんでしょう。

おっと、最後の3行はオレ自身のことだった。こりゃいかんね。

2010年11月24日水曜日

徳島最終日

喉が乾いて目が覚める。。。あれ?セットしたはずの目覚ましの時間より1時間近く過ぎてるんですけど。。。どうやら曜日を間違えてセットしてしまったらしい。やはり酒に酔って、ゆかりんにも酔って、PHSのアラームをセットしたので間違えてしまったようだ。

徳島駅前のホテルにあるびざんの湯を戴く。午前に入りにいくと200円割引なのだ。
外にはジャグジーがあったり、中にはサウナもあったりした。なかなか気持ちもいい。
で、まぁあまりいいたくないことなんだけど、爺様がトイレから出てきたのよ。で、入れ替わりにオレが入ったわけ。そしたらでかいのが流されてないわけよ。流してよ、ね、じーさん。。。

ホテルのロビーに観光パンフレットがあったのでパラパラとめくりつつ眺めていると、鳴門の記事が載っていた。そうか!鳴門へ行こう!!

徳島から鳴門へは1両編成の鳴門線で行く。なんか凄く本数が無い。本当に鳴門って観光地ナノカシラ?
とりあえず電車の中で居眠り。昨夜の酒がまだ残っているようだ。。。車掌さんに起こされる。終点だってさ!
昼過ぎ、JR鳴門駅に降り立つ。。。なんか。。。なんも無いんですけど???駅前にビジネスホテルがあったが、店仕舞いしましたと張り紙が。1階の喫茶店にも同じ張り紙が!なんで、こんな寂れてるのだ!?腹が減ってなんか食いたいと思ってるのに、何も見当たらないではないか!!
ここからはバスで移動。ここでもやはり終点まで行く。バス停のすぐ近くの売店で荷物を預けて、渦の道というところを見学。大潮が14時ごろというので、今の13時過ぎというのもなかなか観光にはいい時間らしい。
橋からすぐ下を見下ろすことができる。ガラス張りの床の部分があって、おぉ、これはちょっと恐いね。うひょひょひょ。
あぁ渦ですね。渦潮ですね。荒塩の塩の八百塩の八塩道の塩の八百会に坐す。。。
鳴門も堪能したので、バスで徳島まで戻る。ここでバスの中に傘を忘れてしまうが、まぁいいだろう。

マクドナルドで時間を潰す。またしてもコーヒーsだけで2時間ぐらい粘る。しかも3回おかわり。

徳島駅でイマジン氏と待ち合わせ。この旅行で一番に会いたかった人物。というのも、四国に行くと表明してから最初に会いましょうと応えてくれた人物だからだ。やはり最初の人というのはいいね。
その後グラフィス氏も合流しラーメン店へ。徳島ラーメンというのを初めて食べたが、少ししょっぱかった。こういうもの?
グラフィス氏は質問上手な人だなぁと思った。
その後ファミレスでるぱん氏とも合流。るぱん氏はなんだか元気が無さそうだった。
4人で何かしら話していて、具体的に何を話していたのかはよく覚えていないのだけれども、私も徳島で何かをしたくなってきた気がした。
1時間ぐらいでタイムリミット。私の乗って帰るバスの時間が来てしまうのだ。

次、また徳島に来ることを約束し、早く引っ越してくるように言われたりして、夜行バスに乗り込むのであった。後ろは振り向かない。こぼれる涙が見られてしまうから。。。

2010年11月23日火曜日

松山から徳島へ。そして2人の美女現る!

ネカフェは確かに横になれるし睡眠も取れるのだが、必ずしも宿泊に適しているわけではない。まぁ遊びの空間だから当然やね。
明け方、キーボードを雑巾の類で掃除する音で目が覚めた。まぁそれもまた仕方ない。お店は清潔が一番だ。

昨夜のお酒もなんだか少し残っているなぁと感じながらフラフラと歩く。そして路面電車で移動し、道後温泉椿の湯で朝風呂を頂く。大浴場はとにかく気持ちがいい。
昨日とは違い、休日だからか朝から浴衣姿で歩いている人もちらほらと見かける。いいよね、温泉!日本人でよかった!まぁ外国にもあるかも知れんけどね。

朝と昼の間、JR松山のすぐ横で鯛めしを頂く。300円なり。これも愛媛らしい料理。うまい!太陽の下で味わう鯛めしはまた格別の味である。ちょっと量的に物足りなかったが、それは朝ごはんを食べてなかったせいだろう。300円という値段を考えたら手ごろな量か。
高速バスは12時過ぎに発車。松山から徳島へ、四国を横断する長い時間を眠りながら移動。

15時半、徳島に到着。本日はここで美女2名と待ち合わせ。それまで3時間ほどあるので、駅前を少し散策。大きな通りを南下してアーケード街を行ってみるとなんだか微妙に見覚えのある場所に出た。デジャブではなく、この夏にユーストリーム放送で、阿波踊りの中継ポイントとなったところのようである。
なんとなく感慨深かったのではあるが、残念なことにこの日はサッカーのイベントで誰かさんが来ていた。音楽やダンスで盛り上げていたのはいいのだが、歌詞でちんことかうんこが使われていた。別にそれはそれでいいんだけれども、それだけで盛り上がるのは小学生レベルなんじゃないかなぁと思った。徳島のサッカーチームに限らず、サッカーそのものにあまり興味が無いため、そそくさと退散。

マクドナルドがあったのでコーヒーだけで3時間粘る。もちろんおかわりも何回かした。ついでにちょっとだけ着替え。着替えはトイレの個室でいそいそとしたので、周りの誰にも迷惑が掛からなかったと思う。

19時頃、ようやく美女2名と合流。むっちゃんとゆかりんである。お二人ともわざわざ時間を作ってくれて本当にありがとう。
近くの居酒屋に吸い込まれて、やはりこの日も特別なのでたっぷりとお酒を頂く。ゆかりんのほっぺにちゅーをしたりしたのだが、とりあえずタバコはやめた方がいいんじゃないかなぁと思うのであった。美人なのになぁ。。。
支払いの時に、10800円だというんで、とりあえず私は1万円札を出した。そしてなぜかおつりを9200円受け取る。あれ?まぁいいか。2人とはそこでお別れ。ちっ。。。

駅前に1店しか無いと思われるネカフェに移動。
ここのネカフェは今時有り得ない状態で、全席喫煙可、毛布なし、荷物の持ち込み原則禁止。明朝になって思うのだが、ビジネスホテルにしておけばよかった。。。

2010年11月22日月曜日

今日は松山!

むくり。。。微妙に音楽がずっと流れ続けてて、いまいちよく寝た感じがしない。
しかし、まぁ2000円もしないでジュースやらアイスやらが飲み食い放題なんだから、文句もないない。とりあえずホットコーヒーを飲んで、一息ついてから出発。

JR松山駅まで出てからパン屋で3個ほど適当に買い、その場でコーヒーを飲みつつ食事。焼きたてのパンは美味いのだ。
世間的には月曜の朝で、ボクは優雅にパンを食べつつコーヒーを飲み、ガラス越しに外を眺めると登校する学生や出勤する人達で賑わっている。ボクは旅行でここにいるんだなぁと、しみじみと思う。
あんまり外ばかり見てても人の波で酔いそうなので、私本太平記の続きを読む。まさに時の執権北条高時の最期のシーン、新田義貞に鎌倉が落とされようというところで涙が溢れ出してくる。高時もまた、時代に翻弄された一人であったのだ。
全くもう、こんな朝っぱらからパン屋兼コーヒーショップみたいなところでぼろぼろ泣いてしまって、いったいどうしたらいいのだ。

気を取り直して道後温泉本館へ。
石鹸がみかんの匂いがする。これはなかなかよい。
普通、こういう公衆的浴場に入る場合、湯船に浸かる前に体を洗うのがマナーなのだが、あとから入ってきた30代のヤツは洗わずに入りやがった。お前とは一緒に入りたくないと思い、すぐ出た。
雨が降っていたので、道後温泉近くのアーケード街をうろつき、入り口近くにあるお店でランチ。Cランチは天丼に鯛の味噌汁がついてくるのであった。なかなか美味い。愛媛の料理って美味いなぁ。。。と思っていると、店内で余裕をぶっこきながらタバコを吸う男がいた。お前と一緒にいたくないと思い、すぐ出た。

再び路面電車に乗ったり、バスに乗ったりした。1日乗車券があるので何度乗っても、また券面の区間であれば、どこで乗って降りても、全くの自由なのだ。大街道を歩いたりもした。

日も暮れて、ひめぶろぐBARにお邪魔する。温かく迎えてくれたウィットプランさんありがとう。しろたんはとても美人だなぁ。。。うっとり。木本氏も駆けつけてくれてありがとう。ここで松山ではじゃこ天というのがいいのだと教わった。
この日は本当に特別で、久しぶりにお酒をたっぷり4時間ほど飲んだのでありました。

昨日と同じネットカフェに吸い込まれて、倒れこむようにして寝る。

2010年11月21日日曜日

梅田から松山へ

7時頃だったか、夜行バスは難波に到着。難波から南海に乗り、住吉大社へ。
住吉大社は前々から一度参拝したかったところ。この度めでたく参拝することができました。
沿道では七五三のための屋台を用意しているが、まだそれは少し後のこと。それよりは中に入ってお参り。どうやら奥の本殿から順に、手前に向かって移動しながら手を合わせていくのがいいらしい。
最初、手前から順に奥に向かっていったのだが、地元に人だろうか、奥から戻りつつ参拝している人がいたので、その人に習ってみた。
寒かったからか、凛とした空気で身が引き締まるような思いであった。

さて、どうすっかなと思い、駅に向かって歩いているとコーヒーのいい香りがしてきたので、思い切って吸い込まれることにした。
モーニングセットを頼む。なかなか美味い。
残念なことに店内禁煙でなく、常連客の人たちがプカプカ吸い出しやがった。もうコーヒーの香りも台無し。急いで勘定を済ませて外へ出る。

梅田に出て、一昨日利用したネットカフェに行き、シャワーを浴びる。バスタオルが買い取りなのが少し不満であったが、まぁいいだろう。
シャワーを浴びてスッキリしたところで、再度蜜焼カレーの店へ行く。
美人オーナーのあーみーさんと少し話をする。まさか今日も来るとは思ってなかったそうだ。まぁ美人に会うためであったら多少の距離はものともせずに行くのがいいと思う。

腹ごしらえも済んだので、再度梅田に出て、JRを使い松山まで移動。先日とは逆のパターン。えっちらおっちらと岡山まで行き、そこから瀬戸内海を渡って行く。JR四国は出発音が瀬戸の花嫁なのだが、歌詞が思い出せず、本来「瀬戸は時雨れて」の部分を「ソバカスなんて」とキャンディキャンディの歌になってしまう。
だがそんなバカな事を思いつつも、私本太平記を読み進めていきつつ、途中何度か読み疲れたので寝たりして、気がつくと観音寺というところで17時。そこからは我慢できずに特急に乗り松山に20時半ごろ到着。あのまま普通で乗り継いだら22時を過ぎるところであった。
JR松山駅の近辺ではもうお店も閉まっているところも多く、なかなかご当地料理は食べられそうになく、そんなわけで駅のすぐ近くにあるカレーショップでカレーを食べる。アルバイトの女の子が可愛くて、何やら会話をする。

2駅ほど離れたところのネットカフェに移動。駅からもちょっと歩く。事前に調べたのがそこだったのだけれども、後で調べたらJR松山駅の目の前にあって、余計な移動時間を取られただけだった。。。まぁいいか、ということで今日からネカフェにお泊り。

2010年11月20日土曜日

氷見の海岸

富山に着いたのは朝の4時半。あまりにも早く、しかも北口に着いたもんだからJRの入り口も開いてない。開いているほうは南口しかないのだ。
とりあえずトイレで髭を剃り歯を磨く。そして南口に地下道で移動して、電車待ち。待合所は暖房が入っていて暖かい。私本太平記を読みつつ、時間を潰す。

富山から高岡まで出て、さらに氷見線に乗り継ぐ。氷見線の中でズボンを穿きかえる。大丈夫、誰も見ていない。

この日の氷見の海岸はとても穏やかであった。そしてここで日中用事を済ます。
用事を済ませた後、ばったりと懐かしい女の人と再会した。確か僕の1コ年下で、なかなかの美人である。当時は随分な巨乳であったが、子供を生んでから少し小さくなったようだ。旦那さんは15ほど上である。
彼らの子供は2人いて、まだ1歳と2歳である。上の子は男の子で、だいぶ喋るのだが、下の子は女の子で、まだ発音が不明瞭であったりする。
夜の海岸をその子達と遊んだりした。とはいえ暗いので、ちょっとした駆けっこぐらいしかできなかった。疲れさせないと眠らないということなんだそうだ。
その女の人は、私も少し好きな人であった。だけれども、当時は私は別の女の人に惚れていて、あまりその女の人のことを考えてはいなかった。全く考えなかったと言えば嘘になるが、もし、この女の人と結婚でもしていたりしたら、私にも今頃はこういう子供たちがいたのかもしれないなぁと、駆けっこをしながら思った。

20時ごろ、ふと高岡方面から花火が上がるのが見えた。音は聞こえないぐらいの距離だったが、花火は綺麗に見えた。空には月も綺麗であった。人工的な火も自然の明かりも、とにかく美しかった。

日付も変わって0時20分、富山から夜行バスに乗って梅田に戻る。

2010年11月19日金曜日

琴平から梅田へ。そして、富山??

9時過ぎだったか、琴平に到着。重い荷物を持ち運びながらJRの駅まで歩き、コインロッカーにぶちこむ。
これで身軽になったのをヨシとして、金刀比羅さんの一番上まで行く。なんでも1355段の階段なんだそうだ。

金刀比羅は事が開け行くこと。物事を始めるもヨシ、また交通安全の神でもある。よくお祈りしてからおみくじを引くとなかなかいい感じ。

少しうろうろして、むさしといううどん屋さんに吸い込まれる。なかなか美味い。

昼過ぎにJRを使って大阪まで移動。一言で書くとあっという間のようだが、ここが本当に長い。なにせ普通の切符で有効日数が3日。つまり200km以上あるのだ。
瀬戸内海を越え、岡山の乗り換えで少し迷い、よく分からない駅で乗り継ぎ、なんとか姫路まで来ると安心感が湧いてくる。大阪まではもうすぐだ。

大阪に着くとそろそろ17時。まずは阪神デパートの地下でイカ焼きを買い、すぐ食べる。難波の方が安くないか?
その後うろうろしているとネットカフェの客寄せがいて、場所を聞いて吸い込まれる。
ツイッターで「梅田なう」とツイートしたら、相互フォローのぴろさんが反応。今から蜜焼カレーを食べに行くとのこと。少し迷ったが、思い切って合流することに。
この蜜焼カレーというのは、蜂蜜(と思われる)をカレーに入れ、フライパンでコトコト焼き、とどめに山葵を混ぜて食べるのだ。味の想像ができないと言うのなら、とりあえず食え。通販もやってるので頼んでみてください。
そんなこんなでぴろさんとも初めてお会いし、しかも若くて美人のアーミーさんにもお会いでき、腹も心も満たされつつ、20時半に退散。

22時、梅田からの夜間高速バスに乗り、富山へと移動するのであった。

2010年11月18日木曜日

いざ琴平へ

専門学校の仕事が終わって、一旦帰宅する。これから1週間程、旅行で家を空けるのだ。そのためにイロイロと荷物を用意する。
っても、ほとんどが着替えだ。しかし道中洗濯できるか怪しいし、そもそも服自体をそんなに数多く持っているわけでもないので、上着も下着も3着ずつぐらい鞄に押し込む。

さて、新宿で夜間高速バスを待つ。このまま琴平まで夜間高速バスで移動するのであった。

2010年9月26日日曜日

20年ほど前の兄の恥

急に思い出したことがあるので書いておこう。こういうことに時効があるかどうかは知らない。兄のことである。20年ぐらい前、彼が大学生の頃、通学定期を改変してただ乗り行為をはたらいていた。その数年後(5年ぐらい?)に本人に問い質すと「消費者の知恵」と抜かしていた。バカだと思う。

今は自動改札などが標準的になっているのでやりにくいことではあるが、通勤定期などの券面改変は、結構なペナルティになる。3倍の運賃請求というのは正しくない。改正されていなければ、正規運賃プラス2倍の増し運賃となる。

増し運賃の計算は、定期券使用の場合、それ(不正利用)が判明してから過去に遡り不正行為が可能な期間、毎日、往復でやったものの2倍額として計算される。兄の場合は、券面の年の部分をこするか何かをして1年前のものを再利用していた。

仮に300円区間だったとして、300*365*2*2=438000円というのが増し運賃の計算額になる。今からでも払えばいいと思うが、今となっては証拠の品(不正利用された定期券)が無い上に20年前のことだ。どうしようもないような気がする。せいぜいネットの世界で書くことしかできない。

2010年9月12日日曜日

おや?

2009年の記事が見られない。そういうものなのか?

2010年8月9日月曜日

テーマ

ブログになんか書こう!というテーマが無いと、どうにも書けないですな。
いや、実際は7月の江ノ島神社参拝・ちょっと遠出した鹿島神宮参拝・8月の江ノ島神社参拝と書くネタはあるんですけど、ついったーの楽さに比べるとどうしても手が遠のいちゃうのですね。。。orz

2010年7月22日木曜日

気になった言葉

連日ツイッターにへばりついていて、なかなかブログを更新しようという気にならなくて困る。いや、別に私が困ることは無いか。
まぁともかく、そのツイッター上でこんな言葉が目に入ってきた。

女の子の扱いはうまくなくていいから、すきな子をしあわせにしたい

なんかいい言葉だなという気がしなくも無いけど、よくよく考えたら全くダメな言葉である。
一応男の立場で吐き出された言葉なのだろう。女の子の扱いは苦手でうまくないと。だけれども好きな子は幸せにしたいと。その心意気やヨシと、まずは言いたい。
だが、その好きな女の子のことをだ、うまく扱えないような、扱うという言葉には語弊があるかもしれないが、うまくできないということを言い訳にして、うまくなくていいから幸せにしたいというのは虫が良すぎるのではないだろうか。
もちろん、人により様々だから、どのように扱ってもらったらいいのかという差はあるだろう。
だからこそ、その好きな相手がどのように扱ってもらったらいいのかをどこまでも研究して、どうしたら喜んでもらえるだろうか、どうしたら嬉しがるのだろうか、どうしたら感動するだろうか、どうしたら感激するのだろうか、なぜ徹底的に研究しないのだろう。なぜ徹底的に聞かないのだろう。

確かに扱いのうまいへたで相手が喜ぶかどうかも別問題ではある。だがへたで、デートのときはいつも相手に迷惑や苦労を掛けてばかり、いつも別れ際にはケンカになってしまう、だなんてそれで相手を幸せにしていると言えるのだろうか。
好きなんだから幸せにしたい。だったら扱いも少しずつではあってもうまくならなければ、本当に好きだと言えないのではないだろうか。

2010年7月15日木曜日

人生観というか死生観

ちょっと理屈っぽくなります(つまり男性向け)。

まず、魂というのが永遠の存在であると仮定します。あくまでも仮定です。あとでそうでない場合も書きます。
プログラム的には
if(魂の存在 == 永遠的)


else


という感じになります。
ということで、永遠的な存在である魂について、少し語ります。

結論から言いますと、神様のような何でもオールマイティを目指すべきです。
しかし、神様と言うと一神教のようなものですと崇敬の対象にしかならないような気もします。なので日本的に多神教なものの考え方でとらえていただきたい。日本的な多神教ということで、仏様も多く出てくるが、とりあえずは我慢していただきたい。
ということで、日本的な神様の最高は何かというと天照大神なわけだが、最高だからといって最良なわけではない。天照大神は太陽神で、それは物凄く偉大なお働きである。
例えば、バイブルを富士山の高さまで積み上げたものと、太陽が1分間地球を照らすのとどちらが功徳が大きいかを考えてみても、圧倒的に太陽の勝ちである。そしてその恵みは地球に1分間なんてケチくさいものではなく、24時間365日常に降り注いでいて、それがもう何十億年と続いているんである。圧倒的に大きくて偉大なお働きである。
だが、大きければいいというものでもない。人の悩みや苦しみといった部分は心の陰の部分でもある。そういった陰に対しては太陽は明るくまぶしすぎる。そういうのには月のほのかな明かりの方が丁度いい。
また大国主のような、またタケミカヅチのような、強さを持っている方がいい場合もある。また住吉のような言霊の素晴らしさを有している方がいい場合もある。日本的な神様の場合、最高神はいるのだけれども、それぞれ働きや役割があり、絶対神というものはいない。
さて、そんな中で何事もオールマイティに素晴らしいというのは何かというと、観音様を挙げたい。観音様は33相に変化して衆生を再度なさろうというお方でもある。それだけ千変万化にお働きになれるということだ。

最初に魂が永遠であると仮定した。
人はなぜ生まれてきたかというと魂の進歩向上発展のためである。であるからこそ、何かしらができるようになると心の奥底から喜びが湧き上がってくる。嬉しくてたまらなくなる。
もしもピアノが弾けたならという歌があったけれども、ピアノが弾けない人が「ピアノができたらいいのにな」なんて思うのはごく普通のことだ。また音楽に興味がなくとも、何かしらの分野で「あれができたらいいのにな」と思うのはごくごく普通のことである。要するに皆なにかしらができるようになりたいと願っているんである。
だが、時間的制約や金銭的束縛や家庭的条件など諸々のことによりできずにいて、あきらめたり単なる羨望の眼差しで終わってしまったりするんである。

魂というのは永遠なものなので、もし今世でやれなかった場合は来世でやり直しになる。ということは、早くにそのことに気がついて、今世できることは今世のうちにやりきってしまったほうがお得だということになる。
だったら、多少辛かろうがなんだろうが、何だこんなもんと言ってやってしまったほうがいい。
そうして進歩向上した分だけ、社会的にもよき影響を与えることができるようになる。それが即ち徳分ということにもなる。

変な話だが、ニートとか社会のクズとか周りに迷惑を掛けているような公害人間というのは、それだけでもう駄目な存在なんである。いかに周りに悪影響を及ぼしているか。それはもう業を積んでいると言わざるを得ない。
そうして徳分と業とが、いわば家計簿とか出納帳とか損益計算書とかと同じように計算され、あの世や来世での待遇というのが変わってくる。それが善因善果、悪因悪果というものである。
ということは、今何かしらの解決できなさそうな大きな悩みとか苦しみを抱えているというのは、前世まででいかに自分が業を重ねてきたかということに他ならない。
であれば、己を鍛え進歩向上発展を旨として生きていくと同時に善行を重ね社会に益することで徳分を積み、さらには業による苦しみを苦しみとせず己を鍛える糧として生きて行けば、必ずや晩年や来世でよくなるに違いない。

だからこそ、究極的な人生の目標は御魂磨きなんである。


さて、今度は逆に魂が永遠の存在でなかったとする。
生まれてから死んで、それでおしまいである。なんと空しいことか。それでも喜びというものはあるだろう。
おいしい食べ物を食べ、いい服を着て、恋愛に励むのもいいだろう。
しかし、それは獣となんら変わるところがないではないか。万物の霊長として生まれてきたその価値は何なのだろう。


実際のところ、魂が永遠のものかどうかはあまり問題ではない。
どっちに考える方がお得な考え方かというので割り切ってもいい。私は前者だと思う。

2010年7月7日水曜日

期日過ぎてた。。。

今度受けようと思っていた試験の、申し込み期日が過ぎてました。。。ちょっとショック。。。

2010年6月27日日曜日

課題図書

師匠から以下の本を読むようにとのお達しがあった。
7月末までに12冊。。。うーん。。。

◇講談社
吉川英治歴史時代文庫
「私本太平記」1~8巻
※吉川英治著
定価714円

◇岩波文庫
「代表的日本人」
※内村鑑三著
※鈴木範久訳
定価630円

◇岩波文庫
マルクス・アウレーリウス「自省録」
※神谷美恵子訳
定価735円

◇ちくま文庫
「思考の整理学」
※外山滋比古著
定価546円

◇講談社現代新書
「知的生活の方法」
※渡部昇一著
定価756円

代表的日本人と思考の整理学はすでに読んだので、あと10冊。
太平記は多分読み始めたら止まらなくなるだろうから、まずは自省録と知的生活の方法から読み始めることにしよう。

2010年6月26日土曜日

合格してた

4月に受験した「情報セキュリティスペシャリスト」の試験ですが、合格してました。
多分だめかもしれないなぁ。。。6/25(発表日)なんて永遠に来なければいいのに、なんて思っていただけに嬉しくて思わず「やったー」と叫んでしまいました。

こういう喜ぶべきときに喜んで手を振り上げ声を出すというのは、本当に自然なこと。
だから人が喜んでいる姿を見るとこっちも嬉しくなってしまうのでしょうね。

2010年6月24日木曜日

思い出の品

そういえば思い出の品というのが無い。
例えば、ちょくちょく旅行に行くこともあるけれども、お土産はたいていお菓子だったりする。
食べてしまってなくなっておしまい。

昔から何か物を使うというのが勿体無いと思ってなかなか使えなかった。
それで気がつくとなくなってしまう。または、とっておいたそのものが役に立たなくなってしまったりする。もしくは使い方を忘れたり分からなかったりして、結局役に立たなかったりする。
20年ぐらい前から買いあさっていたテレビゲームで「いつか遊ぼう」と思って買っただけというのもある。結局遊ぶことなんか無い。高いお金を出して買ったレーザーディスクも1回か2回見ておしまい。かつては本棚をびっしりと埋めた漫画の単行本。
そういったものも結局は実家に置いてはあるけれども、思い出の品というものではない。

父親が亡くなったのは、確か10歳の頃。享年44歳であった。
その頃までは父親がちょくちょくと写真を撮っていてくれてたが、それ以降は家族の誰が撮るということはなくなっていた。
高校のときに写真部に所属していたが、あまり熱心に部活動をやっていたわけではなく、ただ放課後に集まってはトランプをやっていただけであった。それでも春から夏休み・文化祭までの時期には真面目に写真を撮ったり焼いたりしていた。
しかし、写真を撮っても撮られるということはあまりなったように思う。

アルバムが何冊かたまってはいるのだと思うけれども、いつの頃からか見た覚えが無い。実家のどこかには転がっているのだろう。
昔の恋人と映っている写真もあると思う。とっておいたかどうかは疑問だが。。。
いつしか時代はデジカメに変わり、いまや写メという言葉がデジカメで撮影するという意味合いになってきたように思える。
だが、そのデジカメさえもいまだに持っていないし、携帯にもカメラがついていない。そもそも携帯を持ち歩かなくなった。

まるで思い出を作るのを拒否しているかのようだ。

だがそれはそれでいいと思う。変に思い出の品があると、過去のことを思い出してはじ~んと涙を浮かべたりしてしまうだろう。あの頃はよかった、あの頃は髪の毛もまだフサフサだった、あの頃は○○だったなどなど。。。
だけどもそんなふうにあの頃はと振り返ってばかりいても仕方が無い。今日のことやこれからのこと、来週や来月や来年のこと、そういったことを考えていくようにしたい。
来月からギターを始めたい。バレエなんて始めたら男でバレエなんて数が少ないから花形だな。油絵をするのに、キャンバスに適当に絵の具を塗ったくると、もう印象派の一枚ができあがるな。そんな風に将来のことを明るく考えていたい。

そうして、いざお迎えが来たら、ご先祖さんや神仏が沢山集まってきてご苦労であったな、と言われるようにしたい。そうしたら整理券を配らなくちゃいけないような状態なので、とても過去の思い出を振り返ってる暇は無い。

2010年6月23日水曜日

うちの学生達に苦言

お昼ごはんを買いに行こうとして駐輪場に行くと、バイクのナンバーが折れ曲がって見えないようになっているのが1台、ナンバーの数字がこすれて見えなくなっているものが1台、それぞれ停めてあった。
まぁ、これだけでも整備不良で罰則の対象になるのだが、わざわざナンバーを隠すようにしているというのは「ボク道交法違反した走りをするんだもんね」とおおっぴらにしながら走っているようなもんである。
つまり、どう考えてみてもバカなんじゃなかろうかとしか思えない。
何を好んでこのようなバカなことをするのかサッパリ理解できない。これはもう昔からのことだから、年齢的なものではないだろう。精神的な年齢と言ってしまったらそうなのかもしれないが。。。

変な話だが、普通違法性のあることであればなるべくなら隠そうとするはずである。違法だと分かっているからそれがばれたらまずい。なので気づかれないよう、大人しくしたりいかにも普通っぽく振舞ったりするんである。
しかし、ナンバー隠しというのは、要するに身元が割れたら困るということで隠しているのだけれども、そもそもナンバーは見えていなければならないもので、つまり隠しているということ自体が違法なんである。
だから、これ見よがしにナンバーを隠しているのをアピールしているというのは、どう考えてみてもバカのやってることとしか思えない。

とてもではないが、知性や教養というものを感じさせるものではない。
そんなのが教え子の中にいるわけだ。。。世の中の中学・高校の先生方の嘆きというのを今更ながらに実感する。

2010年6月14日月曜日

ハヤブサ帰還

こちらは和歌山大学のUSTREAM
2:58ごろからの明るい光。

こちらはNASAのDC-8から撮影
ばらばらに砕け散っていく光。

ただ単に人工衛星が地球に突入して燃え尽きるだけなら、過去に何回もあったし、年に何度もある。
だが、月以遠に飛び立ち、小惑星に辿り着いて戻ってきたものとなると、世界初のことだ。それをテレビでは全く放送していなかった。
私や少しネット環境になじんでいる人ならば、Twitterなどで情報を仕入れ、USTREAMやニコ生でリアルタイムに見ることができたのだが、そうでない人にはやはりテレビが一番よかったのではなかろうか。実際のアクセス数がそのまま人数とイコールになるわけではないだろうが、USTREAMでは6万人が、ニコ生では14万人が視聴していた。合わせて20万人だが、これをテレビで流さないのは本当に惜しむべき数字だと思う。とはいえ、それがそのまま視聴率になっても、わずか0.2%程度でしかないのだが。。。

ニコ生は、はしゃぎすぎていたようで、私は見ていなかったから分からないのだが、民放のおふざけバラエティ番組に近いものがあったようだ。それでも流すだけましだと思える。
日本では、NHKがようやく1時のニュースで、4時半のおはよう日本からだんだんと、そして7時から厚く放送していくとのことであるが、大気圏突入は前日の22:50頃である。とても情報のスピードが遅すぎると思う。

BS1時のニュース
NHKニュースのWebページ
こんなに鮮明で素晴らしい映像をリアルタイムに放送しないのはなんでなんだろう。

正直、今までハヤブサのことを全く知らなかった。
それが7年ぶりに地球に戻ってくるだなんて全く知らなかった。
それでも感動できた。これでまた明日から生きていける。

あ、そうだ。ハヤブサ最期の仕事。大気圏突入直前の地球の写真を載せなくちゃね。トラブル続きのハヤブサの、最後のトラブルの最中の写真撮影。6枚撮った中の1枚だけの成功写真。その送信の時にもトラブルが。

2010年6月8日火曜日

詩に興り、礼に立ち、楽に成る

教養のことです。

詩心、ポエム、短歌、俳句。まぁなんでもいいんですが、こう言葉が凝縮されて情景を感じさせる。まず、そういうものがある人が教養があると。
そして、礼。礼儀ですね。礼儀正しくない人に対して「あの人は教養があるなぁ」と言うことはまずありません。逆に「無礼で野蛮人ねぇ。教養を疑ってしまうわ」と言われることでしょう。
最後に楽ですが、音楽のことです。もともとは楽器の演奏のことだったんですが、現代では調和のことと思ってもいいでしょう。ハーモニー。和音。。。空気が読めるということにも通じるものがあるかと思います。

これらのことが揃って、教養があると孔子先生はおっしゃっていたわけです。

最近、ある本を立ち読みしまして、新書だったかな、確か講談社だったかと思いますが、タイトルを忘れてしまいました。それには「教養という言葉は、(西洋で)ここ200年ぐらいで出てきた言葉である」みたいなことが書かれていたんです。
馬鹿言っちゃいけません。教養は2500年も前から言われてたことです。
だいたい西洋文化がなんだっていうのでしょう。西洋、つまりはヨーロッパ文化なわけですが、大いに発達しているように見えるのは産業革命以後のことだけです。
ルネッサンスとはなんだったか。それは、古代ギリシャ・アテネ時代の頃に比べて文化が後退してしまったのを嘆き、そうだ過去の素晴らしい時代に戻ろうという、そういう運動だったわけです。
そして大航海時代から植民地政策時代にかけて、世界を我が物にしようとした国々。アジアまでわざわざ出てきて「未開のサルども」を支配下に置いていったわけですが、日本を見てどう思ったか。「みんな本を読んでいる!」と焦って支配できないと思ったわけです。
1800年ごろの識字率が、正確かどうかは分かりませんが、ヨーロッパでは10%に対し、日本では50%だったそうです。
しかし識字率の問題だけでもないのですが、とりあえずは本を読んでいるということは教養があるという大前提だったのかもしれません。

日本国内での戦争で、白髪交じりでは相手に失礼だとわざわざ黒く染めたり、辞世の句を兜の中に仕込んだり、最前線に立ち「やぁやぁ我こそは~」と生い立ちやらどういう戦いを生き抜いてきたとかを名乗りを上げて「いざ立ち会え」なんてやったり、雅であると思うわけです。
もっと昔の貴族になると思いますが、恋愛の想いを和歌にこめて交換しあうなんて、素敵なことだと思うわけです。

詩に興り、礼に立ち、楽に成る

今、それができてる人ってどれくらいいるんでしょうね?
私? もちろん、できてませんよ。。。未熟ですから。

2010年6月7日月曜日

6月の江ノ島神社参拝

朝早くに起きて、身も心もスッキリとした状態で行こうと思っていたんですが、夜更かししてしまったがためにキチンと起きられず、グダグダな状態で昼近くになって起床。
そういえば昨夜はお風呂にも入っていなかったと、11時を過ぎてからお風呂に入る。うーむむ。。。ダメであるなぁと反省しつつ、とりあえずはさっぱりする。

いいんだ。反省して洗い流せば、それが禊払いなんだ。イザナギの神様だって、そうやって三貴神を生んだんだと、分かったような分からないような反省をする。
オレはクリスチャンじゃないから、日本人なら神道的に前向きに考えていけばいいんだと言い聞かせる。

微妙にめまいがしつつも、電車に乗ってしまえば、片瀬江ノ島駅までは黙ってても着いてしまう。
駅から江ノ島神社まで歩いて約15分。歩いているうちにだんだんと頭が痛くなってくる。
しかし、今日は平日だというのにやたらと混んでいる。それはそれで結構なことかもしれないが、なんでだろう。

手水を済ませ、辺津宮。茅の輪を「払いたまえ清めたまえ」と唱えながら3回くぐる。なぜか頭痛のピーク。
お賽銭を投入し、天津祝詞を唱え、祈る。
ところで、天津祝詞とはいくらかの神道の系統で若干異なるようだ。私の場合は、大金運という本の後ろに載っていたものを覚えた。
詳細な解説は、ネット上の様々なサイトにお任せするが、要するに、自分の中の高貴な神なる部分を出発点とし、良くないことや悪いことがあったら反省し改めますので、神様仏様天使様皆様どうか私の話を聞いてくださいと、かしこんでお願い申し上げます、というニュアンスである。

まずは菅政権のことを祈る。
そして朝鮮半島の事情を祈る。
さらに中国の事を祈る。
もちろんアメリカの事も祈る。
戦争の悲惨さもイヤだし、経済的な破綻もイヤだ。
外国の企業が他国に入り込むということは、経済的な結びつきが強くなるということだ。例えばトヨタがアメリカに工場を持つというのは、日本とアメリカの経済的結びつきが強固になっているということでもある。もちろん、日本企業が中国に工場を持つというのも同じである。
ということは、日本とアメリカや中国が戦争をするというのは原則的にありえない。勝った負けたという話だけでは済まなくなるからだ。経済的結びつきが強ければ強いほど、戦争はできず、経済的にもお互いに有利になるようでないと破綻していく。
そういう意味では鳩山政権は中国にイロイロあげすぎたような気もする。菅政権はどうだろう? ぜひ3000点とは言わず、4000点、5000点の政治を目指して欲しい。

とまぁ、一通り我が事を離れた祈りの後に自分の事を祈る。
やはり産土の神様ですから、現世利益も欲しいですしね。

そんなわけで、おみくじの結果です。

花は皆 ちりて あとなき こずえには
実のらん 秋のただ 待たれけり


運勢 末吉

用心して時の来るのを待て
初めは心配事多いけれど後になれば何事も望みどおり叶う様になり幸福引きつづいてきます
信心怠りなく心を正しくしなさい

願望:春より秋がよい思い立つ事月末にせよ
待人:おそけれど来る
失物:間もなく出る
旅行:十分ならず急ぐな
商売:さわげば損あり
学問:自己に自身をもつこと
相場:今こそ動かす時
争事:手間どり難しい
恋愛:浮気心は捨てよ
転居:早いがよい
出産:安産安心せよ
病気:次第に軽くなる
縁談:後に至り思いがけず叶う気長く思え


なんだ、そうなのか。分かりましたー。
と、いつの間にか頭痛はなくなっていました。

2010年6月6日日曜日

Twitterが楽すぎて

なんつーか、わざわざブログに書くってのは、こう、気合みたいなのが必要で。。。
なんか「書くぞー!」みたいなのが必要なんです。私には。
それがTwitterだとあんまりなくて、半チャットみたいなのもだから、ある人の発言に敏感に反応してすぐに返答したりして。。。

そうなってくるとどうしてもブログから遠くなってしまうのですねぇ。。。

2010年5月29日土曜日

女性の呼び方(非推奨)

今回のお話はあくまでも非推奨です。
いや、本当はやったほうがいいような気もする。。。

女の人というか、女の子はたいてい名前で呼び合う。ユキちゃんとか、まぁちゃんとか、あやちゃんとか。あだ名であることもあるけども、たいていは下の名前で。苗字で呼び合うことも全くないわけではないだろうが、やはり下の名前だ。
就職をしてから、名前で呼ばれることも、まぁあるだろうが、だんだん苗字になってくる。
そして結婚すると苗字が変わり、旦那の苗字で呼ばれる事になる。「○○さんの奥さん」と。
さらに子供が生まれると「○○ちゃんのママ」とか「○○君のお母さん」とかになる。
彼女の名前を呼ぶ人は少ない。

特に問題がなければ、女性の名前をキチンと呼んであげたほうがいいように思える。
あくまでも、それで問題がなければの話だが。。。

2010年5月24日月曜日

気持ちの悪い夢を見た

私は蜘蛛が苦手だ。
世の中、蜘蛛好きな人がいるが、この点には共感するところがないので、多分その人たちとは仲良くなれないだろう。

種類は分からないが、蜘蛛が上から一本の糸で垂れ下がっている。
テーブルの上につきそうなところまで垂れ下がってきたが、そこでぴたっと止まった。

テーブルの上には蟻らしきものが二匹いた。
上から降りてくる蜘蛛に気がついているのか、待ち構えているようにも見えた。

蜘蛛は、降りたいのだけれども、そのまま降りたら襲われてしまうかもしれないことを知っているようだった。
そして声にならない声で「これでもくらえ」と何か液体をばらまいた。尻から出したようにも見えた。
その液体が数滴、下の蟻に降りかかる。しばらくはなんとも無かったが、だんだん蟻の気が違ってきたようだ。二匹で争い始めたんである。
そのうち一方が有利になってきた。私は仲間同士の争いを見るのがイヤになってきて、箸を一本その争いの中にそうっと差し伸ばした。
だが無常にもその箸は二匹の争いに弾き飛ばされてしまった。蟻の力は思ったよりも強かったのだ。それも今は気が違っているような状態である。なおさら力の加減ができないのであろう。そもそも昆虫に力加減なんていうのができるのかどうか不明だが。

そうしていると、有利な方が不利な方を丸呑みした。その時に、蟻は蟻ではなく、蛙のようなものに変わっていた。あの液体は生物を変革させる力があったようだ。だからこそ気が違ったように争いを始めたのだろう。
丸呑みにした方の蛙が勝ったわけではない。次の瞬間、蛙は喉元から首が切れて頭が落ちた。内側から破裂したようにも見えた。赤い血がぶわっと噴出し、動いているものは何も無くなった。

いつの間にか蜘蛛もいなくなっていた。そして目の前には、かつて蟻のようなものから蛙のようなものへと形が変わり、ついにはただの肉片となってしまった奇妙な物体が転がっているだけだった。


というところで目が覚めた。時計を見ると8:27。やばい、遅刻する! と慌てて着替えて、家を出た。

2010年5月19日水曜日

5月の恒例江ノ島神社参拝

今月の月参りに、いつものように江ノ島神社に行ってきた。
夜勤明けで参ったにもかかわらず、元気だったのはなぜかしら? きっと恋人にでも会いに行くような気持ちだからかもしれない。

強い風が吹きすさび、雨が今にも降り出しそうな天気の中、辺津宮でじっくりお祈り。そしていつも通りお御籤を引く。お御籤の結果は最後に。
普通、神社のお御籤には和歌が書かれている。これをじっくり堪能することで感性を磨く。だいたいどんなことが書かれていても人生前向きになれるようになっている。それがたった31文字の上品な言葉の調べに現されているのだ。クジを引いて「わ、大吉だ。ラッキー」とか「えー、凶だ。願望かなわずだってぇ。どうしよう」とか言うのではあまり自分の中の御魂が磨かれないような気がする。
言葉がぎゅっと濃縮された和歌を詠み、味わい、情景や感じられる音を堪能してこそ、魂の高貴な部分が磨かれていくのではなかろうか。

今日は辺津宮からさらに奥へと進み中津宮に到着。なんだかお社が綺麗になっている。
さらに奥へと進み、展望台の近くのサミュエル・コッキング苑に入場する。今日の目当てはこの中にあるロン・カフェなのだ。数日前に同じ学校の先生に教えていただき、眺めが最高にすばらしいので是非行ったらいいとのことであった。デートにもお勧めだとも。

サミュエル・コッキング苑に入場するのに200円掛かるのだが、何を思ったかチケットを購入するときに展望台のチケットも一緒に買ってしまった。あわせて500円。うーん。。。しまったと思いつつも展望台に昇る。
おぉ、これはイイ! もし晴れ渡っていて雲がなかったらもっと遠くまではっきりくっきりしたことだろう。これで私の視力がもっとよかったら文句もないのだが。。。

さて、サミュエル・コッキング苑である。今が何かしらのイベントをやっているのか、よくわからないが花が綺麗に飾ってある。
何の花かよくわからないし、花言葉も知らないし、フラワーハートセラピストでもないが、見た目に綺麗だということはわかる。
花は何故綺麗に咲くのだろう。ただ植物が次の世代につながっていく生殖器としての役割なだけならば、綺麗である必要は全くない。それに綺麗だと感じるのは人間ぐらいであろう。ということは花は人間に向けて綺麗になったと考えてもいいのではないだろうか。
だからである。通路を歩いていてその花々に「綺麗だね、可愛いね」と声をかける。花の妖精ちゃんも喜んでいるに違いない。

そんなこんなで歩いているとロン・カフェにたどり着く。日本初のフレンチトーストのお店なんだとか?
そんなわけでブラックチェリーのフレンチトーストをひとついただく。くーっうまいー!!
コーヒーはいまいちだったが、このフレンチトーストは何しろうまい。カリッふわっであまーく、アイスの味も邪魔をしていない。
そして眺めが素晴らしい。ちょうど本土から島に向かって伸びる橋の延長線上にお店があるのだ。テラスに座っていただくフレンチトーストは贅沢な喜びだ。

せっかくここまで来たのだからと、奥津宮まで歩く。奥津宮では、いつもなのかは分からないが、自霊拝ができるようにということか丸い鏡が置かれている。


ということでお御籤の結果です。

春風に 池の氷も とけはてて
のどけき花のかげぞうつれる


運勢 小吉

春の日に暖かかに和らぎ花さき匂う如く今迄の悪い運も開けて栄える御籤です
心正しく行い直に色を慎み信心して人に慈しみを施せ 幸いよいよ添う

願望:思い通りですしかしやり過ごせば悪し
待人:来るもおそし
失物:必ず出る物の間
旅行:さわぐな
商売:利益あり売りに吉
学問:雑念が多すぎる勉学せよ
相場:売れ持てば損
争事:勝つ事十分なり
恋愛:良い人です信じなさい
転居:早くしてよろし
出産:安し母子とも順調
病気:医師を選べ治る
縁談:いろいろのさわりありひそかにすればよし


なんだかいい感じです

2010年5月15日土曜日

パソコンを注文した

いい加減新しいパソコンを買わなくちゃな~と思っていて早10年、ようやく買う事にしました。
お店に行ってあれこれ迷うのもいいのですが、そのような時間もとれないので通販で。
余計なOfficeとかは要らなく、4万ちょっとのお買い物。これだけの金額があれば他に買いたいものや自己教育のための資料とかほしいところであるが、そのためにパソコンも必要だったりする。
うーん。。。ギターを買うのは来月にしようかしら。。。
なかなか欲しいものが買えなかったりやりたいことができなかったり。。。ま、いっか。

かたつむり ゆらゆら登る 富士の山

2010年5月9日日曜日

とにかく忙しかったGW

このGWはとにかく忙しく出回っていた。
ほとんどは仕事の日で、日勤ではあったのだけれども、仕事が終わっては出掛けて朝帰りをし、そのままふらふらになりつつ出勤していた。
別にただ遊びまわっていたわけではない。というよか遊んでいたわけではない。詳細は書くことができないのだが、とにかく大変であった。
夜中にパイプ椅子で座っていても、やはり疲れていたがためにうっつらうっつらとしていたり、また床に横になって寝たりもした。まぁ実際眠っていたのは30分とか1時間ぐらいだったと思うが。。。

そうして忙しくしていたので、なんとなく守護霊がより高級なものと交替したんではないかと思ってみたり。もしくは先天の星が差し替わったり。。。またはその両方。なんつってね。

なんにせよ、これからまた忙しくなるのだろう。
「忙」という字は心を亡くすと書くが、そのようにならないようにしたい。
常に主人公であるように。その場その場の環境の主たる人物でありたい。

2010年4月25日日曜日

4月の恒例江ノ島神社参拝

4/18に資格試験がありました。結果は6/25なんだそうです。ずっと来なければいいのに。。。
なんてこと言ってもしょうがないですが、まぁとにかく試験があって、それから1週間ばかりずっとゲームで遊んで、マンガを読んでばかりいました。
さすがによくはないだろうなぁと思いつつも、無事に試験が乗り越えられたという報恩感謝のお参りに行ってきたのです。それに4月のお参りもしてなかったような気もするし。

さて、そんなわけでおみくじの結果です。

夕立の 雨やまなくに 日はくれて
行きなやみたる 山の坂道


運勢 小吉

あせらばあせる程 苦しみ多く 騒げばさわぐ程損をする災添う運です
けれど何事も控え目にして心静かに身を守り信心怠らなければ却って後は大の幸福あり

・願望 あせるな 人に任せれば吉
・待人 道に妨げあり来ず
・失物 物の間にあり
・旅行 急ぐな利益なし
・商売 大きな損はなし
・学問 自己の甘さを捨て勉学せよ
・相場 山気を起こすな
・争事 勝て共後に恨まれる
・恋愛 自我を抑えること
・転居 控えておくがよし
・出産 身を大切に取扱え 安心してよし
・病気 信心せよ
・縁談 腹立ちて自から破る恐あり人に任せよ


ゲームばっかやってたのが見透かされてます。。。すいませんでしたー!orz

2010年4月11日日曜日

駄洒落とシモネタ

駄洒落もシモネタも、実はOKだ。

ところでシェイクスピアを考えてみる。
「ロミオとジュリエット」「リア王」「ハムレット」のような悲劇。また「真夏の夜の夢」「じゃじゃ馬ならし」のような喜劇。それら全てに必ずギャグと駄洒落とシモネタが入っている。。。らしい。
だけれどもそれが400年もの長い間、人々に愛され続けているんである。
自然表現、感情表現、心理描写、状況表現が実に見事で誰が見ても感動する。そこに韻を踏んだ駄洒落の連続、皮肉の連続、ほめ殺しの連続。そして必ずシモネタが入る。
ロミオのセリフ、リア王のセリフ、ハムレットのセリフ、全てにシモネタが出てくる。
だけれども単なる駄洒落やシモネタというのではなく、人生や人間の理解、そして観察の深さや幅広さ、そういったものが素晴らしいんである。。。らしい。

残念ながら、シェイクスピアにはまだ手を出していないので、そういう評価なんだということしか分からない。だけれどもそれが400年もの長きに渡って愛され続けている文学の実際なんである。
駄洒落やシモネタを一方的に避けるのは、あまりにも短絡的過ぎる。

人間らしく。。。

人が人たるものとは一体なんだろう。

三大欲求は、食欲、性欲、睡眠欲だとされている。これらばかりを満たそうとするのなら、その人は人間の皮をかぶった獣である。獣と全く変わらないからだ。
では人が人たらしめているものは一体なんだというと、それは文化だということになるだろう。
しかし文化と言っても、なかなかピンと来ないかもしれない。だったら芸術と言ったらいいのではないだろうか。

何をもって芸術とするかはそれぞれだと思う。絵や書や音楽といったところが分かりやすいか。それ以外にも古典芸能もそうだと思う。
恐らく、私が外国人と親しくなったなら、柔道や空手のことを聞かれるだろう。これらは格闘技だが、日本の文化の中で醸成された芸術の一種と言ってもいいのかもしれない。薪能は世界遺産になったんじゃなかったかな?

これらに共通するのに、どれもが美しいと思えるものばかりだと思う。美しい絵はいつ見ても美しいし、美しい音楽はいつ聴いてもいい。
そういう「美しい何か」を感じるというのがその人の芸術性なんだと思う。それが人間らしさなんではないかと思う。

多分、天国や極楽というのはそういう美しい場所であるに違いない。秩序と調和と言ってもいいのかもしれない。
多分、地獄はそういう美しさとは無縁の場所であるに違いない。荒廃とか退廃とか。
実際に存在するかどうかはこの際問題ではない。それはもう、心の中の景色だから。

人として生きているのなら、芸術性を磨いていったほうがいいようだ。

2010年4月5日月曜日

誰が見てるのか。。。

このブログに引っ越すことを決めたのは、ただ単にGoogleアカウントで作成できるからという理由であった。
それはそれでいいのだが、誰が見に来ているのかがイマイチよく分からない。多分見ているだろうな、というメンバーは分かるのだが、アクセスカウンターも無いし、どれだけ見られているかという実感が全く無い。
人間というのは、現金なもので、こういう実際の数字を見せられると弱い。そしてその数字にこだわったりするようになったりする。だから目標は具体的な数字にしなくてはいけないのだが、それはちょっとまた別の話。
とにかく、ここはその数字が見えない。それが心地いいという人もいるかもしれないが、私は少しばかり気になる。

恐らくは、そういうガジェットもあるのだろうが、それも見当たらない。ninjatoolをいれるのも、なんかイヤだ。なんかないものだろうか。。。

2010年4月3日土曜日

デドックスか?

今日は夜勤である!ってそんな力説しなくても。。。
まぁとにかくそんなわけで夜勤なのだ。なもんで、7時頃に朝食を摂る。冷蔵庫にはギョーザがあった。3/29までの賞味期限となっているギョーザである。まぁいっかとフライパンで焼く。
いい感じに焼きあがって、フライパンにこびりつくこともなく、すんなりとはがれた。熱々のギョーザはなかなかに美味い。

ちょっと酸っぱいのは気のせいだろう。

12時半頃に目が覚めた。お腹が動いている。どうやらウンコが出そうな感じである。昨日した覚えが無いので、まぁ2日ぶりのお通じだ。本当は毎日出したいのだけれども、なかなか言うことを聞いてくれない我がお腹。

トイレにこもると、とんでもない痛みが襲い掛かってくる。ぐぬぉぉぉ。
どうせ自分ひとりしか部屋にいないので、大きな声でうめき声を上げる。ハァハァ、なんだこの痛みは。。。まるでこの世の苦しみを一身に背負ったみたいじゃないか。おぉ神よ、何故私ばかりがこんな苦しみを!?
もうしばらく痛みは続く。
そう言えばERで出産シーンでいきませる時に「Push! Push!」って言ってたっけ。。。なんて思い出しながら、ふぐぉぉぉといきみつつ、頭の中では「Push! Push!」とフレンズのジョーイが言っていた。どうも何かが混ざったらしい。

多分、30分ぐらいはトイレにこもっていたんだと思う。
フラフラとよろめきつつ、布団になだれこみ、疲労感と脱力感の中、再び眠りについた。

2010年3月28日日曜日

サクラサキサクラチル

世間様では花見で盛り上がってるようで、大変結構なことではないかと思うのです。
この週末は寒かったり、天気があまりよくなかったところもあるようで、そういう意味では少し残念だったのかな? まぁ花を愛でながら飲むお酒というのも、中々いいものです。

桜というと、昔はコノハナ(木の花)と言っていたそうで、それが神格化されたものがコノハナサクヤヒメなんだそうです。
古事記ではコノハナサクヤヒメは大変美しい女性でした。天孫ニニギノミコトが一目でほれてしまうくらいです。出会ったその日にプロポーズをして、その翌日には妊娠~出産と続きます。
いくらなんでも早すぎでは。。。別の奴の子供だろう!? との疑惑にもめげず、産屋の入り口を塞いで火を放ち、もし天孫ニニギの子でなかったら無事に出産できるわけがない! とあまりにも大胆なことをします。
結局無事に、海幸彦(ホデリ)、山幸彦(ホオリ)、ホスセリの三柱の神を出産したのでした。

さて、桜の花は時が来るとパッと咲き、時が来るとパッと散ります。まさしくタイミングをぴったりと合わせて一斉に咲き、一斉に散るのです。

世の中、どこかずれてる人というのは、まずこのタイミングがずれている。
かつてたまごっちがブームになったことがあったが、そのタイミングで偽者が多く出回り、またそのほかのたまごっちグッズが世に溢れた。
また、今現在バンクーバーオリンピックの話をしても、あぁあったね、とはなるが、それほど盛り上がるものでもない。
こういうタイミングを合わせてくれるのがコノハナサクヤヒメ。
全国にコノハナサクヤヒメをお祭りしている神社は数多くあるが、そういうことが分かってお参りするとよい。「今何をすべきか」が前よりもツボにはまってくる。
それと同時に気の強さもある。頑固なのとは違う信念の強さである。そうしてそれを証明して見せるだけの強さもある。

桜の花は美しいのみならず、その時はツボにはまり、また強さも持ち合わせている。
ただ花見で酒を飲むだけでなく、そのように生きて行きたいと心に誓ってみるのもいいだろう。

2010年3月24日水曜日

反動

日頃「知識が足りない。勉強するんだ。インプットをもっと」と言い続けたり書いたりしてますが、そうするとどうなるか。反動がきます。
ぐでーっとなってなーんもしたくない。

はたまた、ギャグばっかり言うようになったりもする(いつも)。
これはもう真面目に事に取り組むと反動がくると分かっているから、最初から明るく乗り過ごそうというもの。
最近、つるつるのペットボトルをラベルをはがして眼鏡のようにすると、えもいわれぬ愉快な顔になると判明した。デジカメが無いので撮影できなく、お見せできないのが残念。

とにかくこういう不合理なことをしたくなるのだが、それはそれでいいのだと思う。

例えばゴルフ。よくよく考えたら、ボールを打って穴に入れるだけのことである。
例えば野球。人が投げたボールを打ってぐるぐる走るだけ。
例えばオセロ。適当に石を並べて白黒どっちが多いか競う。オレの方が多いもんね。
例えば囲碁。適当に石を並べて白黒どっちの陣地が多いか競う。オレの方が多いもんね。
その他、人間が勝手に決めたルールで何やら適当にやって、面白おかしく過ごす。一体何なんだと。

でもそれが素晴らしいんだ。素晴らしいことなんだ。一見無駄に思えるようなことであっても、それに夢中になっているときは御魂がビカビカに光り輝いている。
そうしてそれらの頂点に立つ人々は、それを見る人々に感動を与えることができる。
そうして限界を突破した人に、周りはその人の中に神を見るんである。

2010年3月18日木曜日

Re 侍魂

歴史上の人物で言えば楠木正成公が当たるかもしれない。そして西郷隆盛。

楠木正成は、湊川の戦いの際、絶対に負けると分かっていたから後醍醐天皇に「一旦は京都から退却しましょう」と上申したにも関わらず、天皇は「天皇が退却だなんて、後ろを見せられるかい」と却下され、あぁどうしようと悩みつつも「天皇のために、朝廷(南朝)のために戦うんだ。それで命を落とすことがあっても、それは天命で仕方ないんだ」と、そういう想いで戦地へと赴いたのです。
本当はもっと深い葛藤と、最期の最後の悟りもあったわけですが、まぁいいでしょう。太平記を読んでください。

西郷隆盛は、元々は大日本帝国陸軍大将である。それが、日本のために西南戦争を起こし、立派になった陸軍の戦いを見て、満足しつつ果てていったのである。
ここにももっとイロイロな戦いもあったのですが、まぁいいです。

この2人に共通しているのは、ちっぽけな我を殺しているところです。そして大義のために命を投げ出して戦ったところです。
なかなかこうはいきません。ボクなんか自分の命は惜しいし、我を捨てるなんてもっとできません。

この捨てることに重きを置いているのが老子です。
「学するものは日に日に益し、道するものは日に日に損す」と言っています。
この学は儒教の学問のことで、仁儀礼知信のことです。それを学ぶことで日々成長しプラスになっていると。
それに対し道は老荘思想のことであり、とにかく捨てることを説いています。言うなれば山奥にこもって仙人みたいな状態です。とにかく捨てる。どんどん捨てる。富も財産も地位も名誉も名声も。するとどうなるか。
「損して損して無為となす。無為にしてなさざるは無し」
無為、すなわち何もかもが自然な状態、人間の手の加わっていないような状態。そうなると何もできないことは無いという状態になる。
これは禅の無の境地と同じことを言っている。そして陽明学では良知と言う。

日本では~道というのがいくつかある。柔道や剣道といった武道。また茶道や華道といった芸術。これらを通して明鏡止水の境地に立つのが一つの到達点とも言える。
「日本の弓術」を書いたヘリゲルによると、師匠の阿波氏は暗闇の中で60m離れた的の真ん中を1発で射抜き、しかも2発目はその1発目の的に刺さっている矢を射抜いたとのこと。これぞまさしく弓禅一如である。

無の境地を得ようとし、静かな場所でだまって座って瞑想に耽る、なんてのはいつまで経っても無の境地には立てない。
現代社会においては、日々の生活の中で、公務員なら公務員、主婦なら主婦、プログラマーならプログラマー、営業員なら営業員という、そういう仕事を持ちながら、少しでも周りによかれという思いを持って生活することに他ならない。
これが動中の静である。

そのためにはどうしても真実の学問が要る。
どうしても学んだ分しか周りによき影響を与えることはできない。自分が苦しんだ分しか周りを救うこともできない。
そして学問を学びつつ、小我を捨てていく。
「武士道というは死ぬことと見つけたり」も同じようなことを言っているわけです。

2010年3月12日金曜日

卒業生祝賀パーティ

14時からホテルのパーティルームで催された。
年に1回の行事で、最後の見送りなだけに必ず参加したいものである。

私も長いもので、気がつけば丸5年も某専門学校で講師をさせていただいている。

ふと気付いてみると、初めて1年のときから面倒を見た学生も今回卒業した。
その彼はデキのいい子で、1年の秋の試験に向けての特別授業で初めて出会ったのだが、最初からただならぬものを感じさせた子であった。

もちろん、その子以外にも多くの子が卒業していった。
わずかばかりでしか面倒が見られなかった子もいたし、全く授業の無かった子もいた。そんな彼らでもすれ違ったり見かけたりしたことはあったのだから、これから会えないことを考えると、ふと一抹の寂しさを感じたりもするのである。

だが、それがいい。
そうやって人と出会い別れ、また新たな出会いがある。そうして常に時は流れ変化していくのだ。
諸行無常。なんていう真実なのだろう。常に移ろい変わり、変化しないものは何一つとして存在しない。この世の絶対的ルール。
だから変化することを恐れてはいけない。恐れようと恐れまいと、時間で自動的に変化する。

また逆に、これは自然の裁きでもある。
栄枯盛衰。時間の流れは残酷でもある。どんなに若くかわいい女の子であっても70歳になったら、まぁかわいらしいと言える人もいるが、ほとんどはしわくちゃのお婆さんだ。また、どんなイケメンの男であっても100年たったら骨である。

ホテルから出た後、しばらく学校で時間をつぶした後、2次会でバーへ行く。
そこでまた卒業生や進級学年の学生達にナニゴトか話す。

そして3次会。やたらとうるさい安居酒屋で24時までいる。
そこで自称「頑張ってる」学生を簡単に打ちのめす言葉を吐く。「今年何冊本を読んだ?」
彼らはデザイン系の学生であったが、デザインの本つまりは構図の本やデッサンの本や色彩の本なんてのは沢山出版されている。それを全く読んでいないのだ。つまりはインプットが足りない。
そういう土台が無いから、あくまでもセンス・感覚でしか勝負できない。そこに理論が無いわけだ。
例えば、赤と青を同時に使うと目がキンキンに疲れる。そこで、赤と黒とか、赤と金とか、そういう色の組み合わせというのがあるのだが、それを勉強していない。全くやっていないわけではないのだろうけども、教わったその時点でしかインプットが無い。
何故常にインプットしないのか。何故寸暇を惜しんで勉強しないのか。何故くだらないテレビや雑誌を見て時間を過ごすのか。それらを全部含んでの質問が「どんだけ本を読んだ?」になる。
本屋に行って、本棚の本を全部買うのは、金銭的に無理があると思う。だからこそ図書館を利用するのだ。ところでコレはまた僕もできていないことでもある。だから本当は偉そうには言えないのだけれども、だけれども言ってあげなければ彼らのためにもならない。

そうして日付も変わって0時半頃「5年で1000冊読め」とだけ言って、私は家に帰った。

2010年3月9日火曜日

ありがとう野口さん

Citylights, stars, and aurora. on Twitpic


街の光と煌く星々。。。そして恐いくらいに美しいオーロラ

2010年3月7日日曜日

包丁で右手を切る

私は右利きである。
箸も右だし、鋏も右だし、物を投げるのも右だ。そんな普通の右利きなので、包丁も当然の如く右で使う。
そんな私が包丁で右手の親指を少し切った。切ったと言っても大したことはない。ほんのちょっと薄皮を切ってちょっとだけ血がにじんだという程度だ。
切った場所は、親指の手の甲側の、付け根のあたり。
そこを右手で包丁を使っていたら、なにかのはずみで切ってしまったのだ。

事実は小説より奇なりと言う物だが、本当にこんなことがあるとはなぁ。。。
よくミステリー小説とかで「おや手をケガしてますね」「ちょっと包丁で。。。」「あなたは右利きではないですか? なぜ右手をケガするんです?」なんていう流れで犯人になってしまうことがあるが、あれは嘘というか、机上の空論でしかないということが分かった。

何事も体験してみないと分からないということがあるのだなぁ。。。

2010年3月1日月曜日

恒例江ノ島神社参り

今月も1日にご挨拶に行ってきた。
なお、先月は11日に行ったのだが、なんだかんだで記事にするタイミングをすっかり逃してしまった。。。

そんなわけで今日参ってきたわけだが、正式参拝はせずに、普通の参拝で済ませてしまった。15日にまた行って、正式参拝をしようと思う。

と言うことで、今月も無事に参拝し得参らせて頂けたこと、日頃の健康などの報恩感謝を言上申し上げ、少ないながらもお賽銭を誠の証として捧げ奉るのであった。そうしてから周りの人の幸せを願い、自分の進歩向上を願い、最後に自分の欲望を祈ってきた。
あ、参道のお店などの商売繁盛が江ノ島の神様のお陰であると言うの忘れちゃった。。。

まぁとにかく、そんな感じでおみくじを引くとこうであった。

吹く風に 高嶺の雲も
はれ行きて
涼しく照らす
十五夜(もちのよ)の月


運勢 大吉

冬の枯れ木に春が来て花さき黒雲晴れて月てり輝く如く次第に運開け幸福加わり家業繁昌します
しかし安心して油断すると折角の幸が禍となります用心しなさい

願望 目上の人の助けを得て思わず早く調う
待人 たよりなし来る
失物 早く出る物の間
旅行 さわりなし
商売 気を付けてすれば吉
学問 安心して勉学せよ
相場 見合わせ今が大切
争事 人の助けあり早く済む
恋愛 表面だけ要心せよ
転居 さしつかえなし
出産 やすし信心せよ
病気 気に病むな治る
縁談 思わず早く調う他人にまかせよ

良い結果に満足し、深々と頭を下げる。なかなかいい御祭りであった。

直会(なおらい)は入り口の鳥居の近くにある「たこ島」というお店。ここの丼物はとにかくでかい。まぁ僕には少々物足りないのだが。。。
すぐ隣に看護婦さんの3人組がいて、食べきれないようであった。
メニューにシラスの挿絵があって、なぜか手がはえて看板を持っているような絵柄になっている。何と言うか、まんま白蛇に見える。

その後、鳥居を出てすぐのところにあるソフトクリームを食べる。今日だけ紫芋ソフトが200円とのこと。他のものは295円なので安い。ちなみに店を挟んだ反対側はどれも250円。

ところで江ノ島神社には下のようなマークがあちらこちらに使われている。
 ▲
▲ ▲
フォントの関係で正しく見えるかがちと心配だが。。。ともかく三角形が組み合わさって、一つの大きな三角形に見えるわけである。
要するにウロコをあらわしていて、その意味するところはヘビである。
昔から白蛇は神様の遣いだという話があるが、やはりここ江ノ島でもそういうことのようだ。

なので、白くてニョロニョロしているシラスとか、それに手がはえたイラストとか、ソフトクリームなんていうのは、白蛇に見立てることができる。そうして江ノ島の神様の御神徳をまんま頂くのだ。

そうやって御神気を浴びるのは大変気持ちがいい。やはり実際に足を運ぶというのが大事なのだろう。

2010年2月27日土曜日

自己実現ってなんだ

時たま聞く言葉に自己実現ってのがある。要するに夢とか希望とかが叶えられてよかったね、ということらしい。
でも、だからなんなんだと思う。
自己実現できたからなんなんだと思う。

嬉しい? そりゃそうだろう。だけどそれで終わりなのか。
何事かを達成して、嬉しくて、よかったよかったと。それで終わりなのかと。
終わるものかね。人生は寿命が尽きるまで続くんだ。そこには自己実現もへったくれもない。

だが、夢や目標に向かって張り切っている姿は素敵だ。
達成できるかどうかとは関係なしに、まぶしく光り輝いている。

要するに事柄じゃない。
自己実現に向かって努力していること自体が素晴らしいんだ。
それは男であれ女であれ、サラリーマンであれ経営者であれ、役者であれ専業主婦であれ、そんな事柄はあまり大事な要素ではないように思える。
「そうだ、これに向かってああしてこう工夫しよう!」というのが素晴らしいんだ。

そうして最終的には、三十三相に化身して衆生を救済される観音様の様に、なんでもオールマイティにできるジェネラリストな人間になるようにしていくんだ。それが僕の最終的な自己実現。
だから何でも中途半端に始めて、ひとかどの人間になることもなく、だけどもやめることもなく、ひょっとすると周りから認められることもない。だけど、それが素晴らしいんだ。

2010年2月25日木曜日

書きたいことがあんねん

でもなんかあまり時間が取れなくて書けないのねん。
どうもツイッターでちょこちょこと発言したり、他の人の発言を読んだりしてしまう時間の方が面白い。なので他の人のブログも巡るのも億劫になってきた。
一時的なものかもしれないし、これからもそういう傾向が続くのかもしれない。

だけどそれはそれでアリなような気がする。

書きたいことはまたいずれ。。。

2010年2月16日火曜日

またもやめまい

多分、昨日食ったヤキソバのせいだと思う。やだなぁ。。。

2010年2月11日木曜日

料理っていいなぁ

可視不可視に対する記事

私は男の一人暮らしだが、一応は料理をしている。とは言えカレーが多い。
だがカレーではあるが、具はふんだんに使っている。
今の季節なら白菜を入れることが多い。これが火が通ると大変水が出てくるので、カレールウの箱に書いてある作り方の通りにやったらべちゃべちゃして、カレースープになってしまうのだ。

先日はキムチ鍋を作った。
白菜・人参・ナス・カキ・キャベツ・大根・白滝を鍋に入れ、火を通すのみである。この時も白菜から水が大量に出てきた。鍋に野菜からの汁が溢れるように満たされ、水を足すことが無い。
こうして出来上がった水炊き状態のものに、キムチ鍋の素を入れる。火が通るのにちょっと時間が掛かるが、全体としては煮るだけの簡単料理だ。

そしてこの鍋ができる前に、納豆をこねたりするんである。
実のところ、料理というのは手順だ。

まず食卓には箸やスプーンを並べておくべきだ。これが最後になると、いつまでたっても食卓に並んだものが食べられないという悲劇を味わうことになる。やな味だ。。。
そして、冷めてもいいものやぬるくなっても影響がないものを並べていく。例えばサラダや漬物なんかだ。
そして熱いものなんかは最後に出す。これらが順々にでるように調整しながら料理をしていく。計算ができ、なおかつ手際がよくないと、とてもではないができることではない。これができる人は偉いのだ。

風水的には、台所は木火土金水が全て揃っているのです。料理がきちっとできるということは、その家庭内のバランスが整っているとも言えます。

2010年2月6日土曜日

やはりよく似ている


http://www.youtube.com/watch?v=UnEkVC6i9tM
Around and Around(Chuck Berry/1964)


http://www.youtube.com/watch?v=IJumY_r1LCg
つ・き・あ・い・た・い(忌野清志郎/1984)

チャックベリーの曲は本人のいい感じの動画が見当たらなかったのでローリングストーンズのカバーですが、他にもいろんな人のカバーがあって聴き比べてみるのもいいかもしれません。
そして日本でのカバー。。。? あれれ、作詞作曲が。。。ゴシゴシ、なんか見間違えだろうか?
ギターソロらしきメロディラインがアラウンド&アラウンドと逆になってはいますが、リズムやコード進行なんかが同じとしか思えません。

2010年2月3日水曜日

節分

「福は内~、鬼は外~」というのが一般的ですが
「福は内~、鬼も内~」というところもあるそうです。

鬼は、あんな恐そうな顔をしてますし、実際恐いのですけども、悪い存在というわけでもない。
鬼コーチとか鬼監督とか、その手の表現方法からも分かるとおり、厳しくするのも愛ゆえである。
愛ゆえに人は苦しむと聖帝も言っていたが、愛ゆえに厳しく当たるんである。

優しいばかりが愛ではない。ある時は心を鬼にして接することも必要なんである。それができないというのは、つまりは愛がないといことだ。
母親的要素と父親的要素と言ってもいい。また、陰と陽と言ってもいい。その両面が必要なんである。

2010年1月28日木曜日

久しぶりの資格試験?

今度の4月18日に情報処理の資格試験がある。
一緒の学校の先生が、プロジェクトマネージャを頑張って受けようと言っていたので、私も触発されて受けようかと思っていた。
そんなんで本屋に行き、試験のテキストをちょっとめくっていたのだが、どうもプロジェクトマネージャは難しいと分かったのでやめる事にした。
代わりに情報セキュリティスペシャリストの問題集を買ってきた。プロジェクトマネージャではなく、情報セキュリティスペシャリストの方を受けようと思う。
どちらもランク4で同じレベルの難易度のようだ。あと約3ヶ月の間、ちょっと頑張ってみようと思う。

2010年1月24日日曜日

首が痛い

昨日仕事をしていたときだが、とにかく姿勢が悪かった。
前のめりになり、猫背になり、PCの画面をずっと眺めていた。

細かいことを書いても分からない人がいると思うのであっさり書くが、eclipseというツールでPHPの開発環境を整えていたのだ。
なかなかうまくいかなく、ようやくできて、その覚書を社内のwikiに書く。これがまた時間が掛かった。なんと言っても、他の人もそれを見てすぐにできるようにしようとして、画面をキャプチャーしたり説明書きを丁寧に書いたりしたからだ。

それで何かを成し遂げたような気がし、「俺はやったぜ、俺はやったぜ」とシーザーのようなことをずっと言い続け、うざったがられたりしたような気もするが、まぁいいだろう。

多分、この影響というか、反動で首が痛い。首だけでなく肩も痛い。
労災なんだろうけども、我慢できないレベルでもないので、まぁいいだろう。だが痛い。

まぁ本格的に止めを刺したのは、Gyao!でERを立て続けに2本見たからに違いない。。。

2010年1月21日木曜日

ハッピーバスデ町田観光

毎年恒例のハッピーバースデイトゥミーを歌いたいのも山々なのだが、そこをなんとか我慢してメシを食うことにした。
とは言え、年に1回のバースデイである。肉にしようかと思いながら歩いていると妙案を思いついた。町田観光に行こう。

町田観光は私の知り合いの経営しているお店の一つである。他にも2店経営しているとのことだが、とにかく料理が美味い。開店前に練習と称して鶏肉を食べさせてもらったことがある。そのお店のオーナーはとても明るく人懐こい笑顔で
「これ今朝まで生きてたんですよ」
と目を輝かせながら、丸ごとの鶏肉を見せてくれたことがあった。確か2年ぐらい前のことである。

そんなわけでそのお店に行くと、オーナーがいた。
「あれ、なんで来たの」
「実は今日が誕生日でして、それでなんか食べようと思って、ココが思いつきましてね」
「ありがとうございます♪」
なんていう会話をして席に着くと、オーナーから店長に「知り合いなんですよ」と一声掛かる。
特に何を食べようかと決めていなかったので料理はお任せにした。

すると出るわ出るわ。とにかく美味いものラッシュ。私はとにかく目の前の食べ物があるとどんどん食べてしまうので、皿があっという間に空いてしまう。
これには店長もオーナーも目を丸くしていた。
「いや、だって、美味しいからね。すぐ全部食べちゃうの。。。」

オーナーから珍しい差し入れがあった。なんと伊勢神宮の御神酒である。これがまためちゃくちゃ美味い。
私はこの御神酒で、オーナーはウィスキーをロックで、乾杯する。

私にとって、この1年はイロイロとあった。だが、そのおかげで(反動かもしれないが)とにかく全国いろんなところに旅行することができた。これはこれで非常によかったのかもしれない。
また今年もいい1年でありますように。

2010年1月20日水曜日

英語を勉強する理由

昨夜のことだが、twitterでこんなのがあった。
「英語勉強するの嫌いすぎてうわーんて感じだけど、よく考えると、そもそも英語を勉強しなきゃいけないという納得する理由を持ってないような気がする。将来困るよ!とかは、あんまり体に落ちない。誰か教えて」

英語を勉強する理由が分からないと。。。それが分からないくらいのアホなんだから、勉強する理由になるだろう。。。
まぁ大体英検2級レベルまでなら頑張れば行くけども、それからはるかに差のある英検1級レベルがあり、さらに難しいガイド試験、同時通訳、それから上級英会話の先生とか国際世界の同時通訳、さらには同時通訳を養成する先生。。。先は長いですぞ。
まぁ日本にいる限りは英語はなくても困ることはない。だが語学に限らず勉強する意義が分からんアホに他の文化・芸術・学問などの精進ができるとは思えん。
そうして英語の勉強する意味なんか無いとか言うやつに限って日本文化を学ぼうともしない。書道や茶道、はたまた柔道・剣道、短歌や俳句やそのほかの文学などなど。
ただひたすら、己を甘やかす堕落した日々を送るだけだ。己の精進や努力の無さや不甲斐なさを棚に上げて、政治が悪い時代が悪い将来が不安だと嘆くばかりだ。バカじゃなかろうか。あ、バカだった。

例えば雅子様。彼女の父親は外交官でハーバード大学などの客員教授をしていた。だから雅子様が英語の勉強をすると言ったら、ハーバードやオックスフォード大学でPhDを取得するぐらいが当たり前だと思っていた。

英語を勉強するのが嫌いって人に聞きたいが、じゃぁそれ以外で勉強するのが好きなのはあるのか。
仮に女の人であったとして、化粧が好きだってんだったら、メークアップアーティストになればいい。なろうと努力すればいい。そうして一流のメークアップアーティストになり、日本のトップになればいい。
そうなったときに、アメリカのファーストレディが「あなたにメークをお願いしたい」なんてなった時に「英語で直接話せたらなぁ」なんて思うだろう。
PCを触っているのなら、マニュアル類で必ず英文にぶつかるはずだ。それが「わかんな~い」でいつまでも通じるわけでもあるまい。

将来ではなく、まさしく今現時点でさえ英語力が必要な場面があるのに、それさえも分からないってんだから、勉強しろってんだ。
そんなアホな女は嫁にしたくはないと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?

2010年1月16日土曜日

大神(おおみわ)神社参拝

大神神社と書いて「おおみわじんじゃ」と読む。普通読めないっての。三輪と書くこともある。こちらなら普通にも読めそうだ。

ということで、奈良まで行ってきた。新宿からバスで行ったのだが、この集合時間が23:59である。恐らくは日付などの関係で間違えないようにという配慮だろう。まぁ。。。間違えないようにしてある分にはいいだろう。
今回のバスにはトイレがついていないタイプであった。それで新宿から奈良まで行こうってもんだから、大それたものだ。
バスに乗り、席に座る。一番後ろの座席であったが、これがなんとリクライニングになっていない。確かに往復で11000円だから格安と言えばそうなのだが、ちょっとケチりすぎではないですかね。。。

新宿を出てからすぐ高速に乗り、そのまま東名を使う。まずは足柄PAで小休憩。その後は一気に亀山PAに。。。ってもう三重ですよ。その後は恐らく名阪国道を使ったのだろうけどもよく分からない。
気がつけば朝も早くから大神神社にたどり着いた。

大神神社は古くからの山岳信仰を現代にも残す形でお社が建立されている。ご神体となるのは遠くの三輪山で、ふもとの神社からはその山を遥拝するのだ。
朝早くに着いたからか、本来なら入ってはいけない場所までバスが入ってしまった(普通車ならいい)。なので本来の外にある大鳥居はとっくにくぐってしまっていたのだ。
まぁとにかく中に入ろうとするのだが、なんだか見覚えがある。。。ような気がする。不思議だなぁと思って鳥居をくぐって中に入っていくが、やはりその沿道は見知らぬ場所である。
空気が冷たくピリリとしていて、こちらもなんだかしっかりしなければ、という気がしてくる。

三輪明神は、古事記によると日本中に疫病を流行らせ、そして止めた神様でもある。また男女間の不思議な縁の神様でもある。少し違うエピソードが日本書紀にもある。
そんな風に三輪の神様を褒め称えてから、そのお役割のように、日本中の疫病(例えばインフルエンザ)が流行らないようにお願いし、また1月に危機を迎えるという景気の二番底や6月の三番底に関しても、倒産する会社や失業する人がでないよう、また借金などの苦しみで自殺する人がでないように祈る。
そうやって我が事を離れた祈りの後に、おもむろに自分のことをあーでもない、こーでもないと祈る。
特に男女のもめごとトラブルは、ここ1年でかなり苦痛を味わったので、なんとかしてくださいと祈る。

先週、江ノ島で白くてにょろにょろしている蛇神というようなことを書いたが、三輪も名物が三輪そうめんである。見事に白くてにょろにょろしている。古事記や日本書紀にはまさしく蛇のエピソードが紹介されていて、この一致する符合にまたまた関心したのであった。

そこからしばらく離れた場所に、下北山村というところがあり、そこのスポーツ公園に移動。ここはすぐ横にダムがあって、ダムが決壊したらすぐに水底に沈んでしまうのではないかと思われるような場所である。池原ダムというのだそうだ。
ここで一泊したが、谷底だからか、8時ぐらいになってようやく日が差してきた。それまでは寒くて寒くて仕方の無いところであるが、日が差し込むと冬の澄んだ青空では思ったよりも日差しがきつい。ふと地面から湯気のようなもやが立ち込めていて、なんとも幻想的な景色である。寒さに引き換えてもこの景色は美しい。
その朝もやと白く光っていた霜はほんのわずかな時間のうちに、日の光によってかき消されてしまった。

行きでもそうだったのだが、帰りのバスでも本格的に首を痛めた。なんとかフリースを首に巻いて枕代わりにしていたのだが、やはりリクライニングしない椅子というのが曲者である。

2010年1月10日日曜日

新春江ノ島神社参拝

確か1年前にも昇殿参拝したのだが、その時は10人ぐらいの団体であった。だが今年は一人での参拝となる。

江ノ島神社に着いたのは11時近くなってから。
江ノ島神社には3つのお社があり、通常は辺津宮という一番手前のところでお参りする人が多い。私も普段なら辺津宮の外側からお参りするのだが、今日は年始の、見も心もピシッと改めて、スーツ姿で正式に参拝することにした。
一応ご祈祷ということで受付をする。五千円以上の玉串料なので、普段のお参りとはわけが違う。普段のお参りでは、普通の人もそうだと思うのだが、だいたい5円とか、まぁ100円とか、たまに思い切って500円という偉大なコインを賽銭箱に投入すると思うのだが、こういうのはチャリンコ参りという、要するに神様側もあまり本気に相手をしてくれない。
金額の大小もあるのだが、やはり人間側の誠を示さないと向こうも本気になってくれないようなのだ。
ということで、わざわざスーツを着て、正式な形でお参りをし、深々と頭を垂れる。こうすることで向こうにもこちらの本気を示してやらなければなるまい。
対人関係とどこか似ている。

ということで辺津宮での正式参拝が終わって、重要文化財の指定を受けている弁天像を見る。通常は200円だったかの拝観料が必要なのだが、正式参拝をした人にはそのまま中に入れてもらえるのだ。
約1000年前の留学生の作ったと言われる弁天像も大変美しかった。名も無い人の見事な作品である。そして重要文化財の弁天像2体。。。弁天様はお優しいだけでなく、大変厳しい側面もあるということが分かる。

今年初のおみくじを引く。伊勢神宮ではおみくじが無かったので、ようやっとご神託を賜ることができた。

春風の 吹けばおのずと 山かげの 梅も桜も 花はさくなり
運勢 大吉
心をかたくもって 一時の不運にあわてさわぎ思いまようてはいけません
本業をよくまもって静かにときの来るのをまちなさい
開運うたがいありません

・願望 気ながくすればととのう安心せよ
・待人 来るがおそい
・失物 物にかくれて出ず
・旅行 十分でない控えよ
・商売 物価下る買うはわろし
・学問 安心して勉学せよ
・相場 売れ大利あり
・争事 人に任せるが利
・恋愛 あわてず心をつかめ
・転居 さしつかえなし
・出産 安し信心が第一
・病気 気を強くもてなおる
・縁談 先方へ思い通ぜず調いにくい

ということで、なかなかいい感じである。まぁ待人や縁談がいつもいつもこんな感じなのはなんとも嘆かわしいところでもある。恋愛も芳しくない。神も仏も無いのかと言いたくなるが、いるからこそこのように明確な回答をほぼ毎回毎回、同じようなことを違う言い回しで教えてくれている。。。

辺津宮の後は、中津宮もお参りして、奥津宮までお参りする。
帰りがけに地図で確認したのだが、辺津宮からお参りした真っ直ぐの位置と中津宮からお参りした真っ直ぐの位置に奥津宮がある。そして奥津宮から真っ直ぐの場所は、どうも白山ヒメ神社があるような、今ぐーぐるまっぷで見てみたらそんな感じであった(最初は富士山があるのかと思ってたが少し方向が違ってた)。

帰る前にご飯を食べていこうと思っていた。直会(なおらい)と言って神様と一緒に食事を楽しむことである。
江ノ島ではしらす丼が名物らしい。1~3月は禁漁期間なのでダメだが、それ以外では仕入れが合えば生しらす丼も食べることができる。生の方が値段が少し高く、また苦味がある。しかしどちらも美味い。
ふと、あぁと気がついた。江ノ島の弁財天は御眷属に白蛇がいる。眷族というか、弁財天が白蛇に化身して現世利益を与えてくれるのだが、それはともかく、しらすは白蛇を見立てたものではなかろうか。
そんなわけでお店に入り、しらす丼を注文する。そのお店は外のオープンテラスのような場所があって、そこで太陽の下で食べることができたのだ。昼の日差しがきつく、その分ぽかぽかして暖かい。遠くの相模灘を眺めつつ、目の前のしらす丼を食べる。まぁ至福の時ですわな。

江ノ島の入り口付近のお店でソフトクリームを買う。250円で、お釣りの750円を受け取り、とりあえずポケットに突っ込んでソフトを食べる。むらさきいもとバニラのミックスで、これもなかなか美味い。とにかく今は白くてにょろにょろしているものは何でも白蛇つまり弁財天なのだ。
ポケットに突っ込んでいた750円を小銭入れに入れようとするが、500円玉が見当たらない。あれ? どっかに行ってしまった。どこにも無い。
失物 物にかくれて出ず
いや、当たってるんだけど、嬉しくないです。。。

2010年1月9日土曜日

手相鑑定

手相に限らず、占いは当たる。ただ当たると言っても、どのように当たるのかはまた別問題だ。
当たる占いと当たらない占いの違いは一概には語ることもできない。
ただこれだけは言える。「鑑定」を受けた人が幸せにならなければ意味が無い。これが基本である。基本ということは、到達点でもある。

占いが当たったとか当たらなかったとかで一喜一憂するようではレベルが低いとも言える。
毎朝のニュース番組の時間でも、天気予報の終わりあたりに星占いのコーナーがあったりする。スポーツ新聞でも同様にあったりする。それが星座占いではなく、誕生月占いだったりもする。また血液型占いなんてのもよく見かけるし、九星気学も見かけることもある。どれも当然のことながら「当たる」。

よく当たる理由の一つに統計的資料だからという側面もある。
A型にはこういうタイプが「多い」というのが統計的側面だ。実際にそうなんだから、科学的に証明されていない何かしらの事実や裏づけがあるのだろう。
星占いはその裏づけを星の位置関係に見出している。例えば火星にはこんな意味があって、その影響を強く受けているので、こんな風になると。またこれもよく当たる。恐らくは実際にそれぞれの星に波動のようなものがあり、その影響があるのだろう。

占い師がよく「当たる」ようにするためにモノゴトをぼかして言うことがある。占い師の言葉を聞いた側が勝手にあれのことだと思うのだが、そのような心当たりがあるだけマシとも言える。
そして占いの凄いところは過去のみならず現在や未来まで見通せるところにある。
一番驚いたのは、私のアコガレのお姉さんのことである。そのお姉さんが手相鑑定を受けた際に、出産の年齢を言われたのだが、最初はまさかと思っていたらしい。もう既に2人の子持ちだし、その年齢では少し高齢出産になってしまうからだと。
だが実際にその年齢がぴったりと当たり、本当に可愛らしい男の子を産んだのである。目がクリクリとして本当に可愛い赤ちゃんであった。

ところで、それぞれの占いには得意分野というのもある。数多くの占いがあるということは、どれか一つが完全なものというわけではないという意味でもある。
そして占いが当たるか当たらないかはその時々の状況によって変わってくる。
私も手相「鑑定」ができるのだが、以前にこんなことがあった。
60歳ぐらいの女性の鑑定をしたのだが、40歳の時に開運を示すものがあった。それを伝えると「40歳の時に離婚したんです」と言う。
個人的に、離婚するような目にあっていたのだから離婚して正解だと思う。だから開運するというのも正しいような気もするのだが、そもそも離婚するような結婚をしなかった方がよかったのではないかとも思う。
また本人が離婚を恥と思うようであれば、当然それは開運にはつながらない。心の傷にしかならない。
だからある事象そのものが本人にとってどうなのかは、その時々の状況によって変わってくる。
そこで基礎に立ち返る。つまり「離婚して正解でしたね」と一言添えるのだ。そうすることでその人が幸せに感じればいいのである。

このことが分かっていない占い師が多くいるような気がする。
確かに占いはよく当たる。だが、だからなんなんだ。
手相で言えば、病気のことなんかも分かる。それを見て「あなた腎臓の病気ですね」と言ったところでどうなる。
タロットでは相性とかがよく分かる。だからよく恋愛関係に使われたりもするのだが、それで「向こうの男性はあなたのことを何とも思ってないです。別に想ってる人がいますね」と伝えたところで「それでもやっぱり諦められません」とかなった日には、だったら最初から受けるなとか言いたい。

それぞれの占いを通して、受けた人が幸せになればいいんである。当たっているのは当然のことながら、その結果幸せに導いてあげないと「鑑定」の意味がない。
だから当たったとか当たってないとかで一喜一憂するというのはレベルが低いのだ。基本が分かっていないから到達できないんである。
そういうバカな占い師があぁだこうだと言い、それに喜んだりがっかりしたりする。なんてことだ、と思う。それで受けた人は幸せなのかと。

だからボクは手相占いはしない。手相鑑定ならする。
そしてこんなことを言うのもアレだが、自分の手相が一番分からない。。。

2010年1月5日火曜日

寝る子は育つが。。。

8時ぐらいに目が覚めた。今日は仕事が休みだ。図書館でも行こうかな。

10時ぐらいに朝食やら洗濯やらを終えた。あー、布団あげとけばよかったかな。なんかちょっと横になる。

気がつくと13時を過ぎていた。あらら、午前が終わっちゃったよ。お昼はどうすっかなぁ。。。
なんて思ってたらなぜか16時。そろそろ日が沈むってなもんだってばよぉ。うーむむ、図書館に行くって話はどうなったんだ。
とりあえず洗濯物をしまいこむ。しかし外は寒いやね。ちょっと毛布に滑り込む。

はっとしてグーだね、つーか22時半。なんだって木林! それは本当か!?
どうやら我々は知らず知らずのうちに時間を越える能力を身に着けてしまったようだ。今は先に進むだけだが、いずれは戻れるようになるに違いない。

とりあえず晩飯を食って風呂。こんなんで夜は眠れるんだろうか。。。

そんな心配をよそに、またぐっすりと眠ってしまうのであった。